こみみかわら版バックナンバー

第140回 中能登町水白


町名の由来

何で水白と書いて「みじろ」と言うのか本当の所は良く分からないよ。在所では「めじろ」と発音しとるけどね。天正5年というから上杉軍が七尾城を落とした年の気多社免田記には「見しろ村」と書いてあるそうだけどね。ここには久江川と小竹川の支流が流れ込んでいて、在所の中をきれいな水が流れているんだよ。個人的には水がきれいだから、いつしか水白と書くようになったんではないかなぁと思っているんだ。

昔の在所

伝わっている話として、水白に木曽義仲が布陣した時、在所の八幡神社に立ち寄って祈願しているようだよ。倶利伽羅峠の合戦の前にここを通ったのかもしれんね。それとここには鍋塚という古墳があるんだ。鍋をひっくり返したような丸い円墳なんだよ。戦時中に芋を植えたので、今は段々になっているけどね。

江戸時代後期の文化13年に外観の調査をして、明治39年に正式に発掘調査したら石棺や銅鏡、刀や鉾が出てきたんだ。偉い人の墓に違いないけど、誰だかわからないので、羽咋市大町の長谷寺にも聞いたけど結局分からなかったと記録されているよ。鍋塚に自分達の親世代が町の許可を得ないで内緒で桜の苗木を植えたんだ。町も黙認してくれたんだろうけど、今となっては桜の名所になるくらい立派に育って、春には多くの人がカメラを持ってやってくるよ。

これから

ありがたいことに親と同居している世帯が多いので、子供も多いよ。そうは言っても、高齢化は進むし、空き家も増えてくるし、どうしたもんかと思うね。平成20年から始めた圃場整備も10年越しになったけどようやく終わりが見えてきてホッとしているよ。時代の流れでいろんな問題が出てくるけど、その時、その時、一つ一つを考えて解決していくしかないと思うよ。

今年は7月に在所の防災訓練をやって、秋には子ども会も含めて公民館で餅つきをしたいと思っているんだ。旧家が多いので臼を持ってきてやれば子ども達も喜んでくれるし、大人も懐かしんでくれるんじゃないかと密かに計画中だよ(笑)それと宮の山の間伐をしたけど、手ごろな丸太がいっぱいあるから欲しい人がいたら電話してもらえればどれだけでもお分けしますよ。

あきこの一言

細い在所道を歩く、緑多く澄む空気、水の流れが音する在所。