こみみかわら版バックナンバー

第142回 七尾市白馬町


町名の由来

伝わっている話では、源頼朝が政略的に源氏の守り神、鎌倉の鶴岡八幡宮を全国の要所に勧請させてその分神を鎮座させていった当時に、能登國七尾から下町の守友さん、飯川町の高田さんと若林町の荒牧さんの先祖が鶴岡八幡宮に出向き、係りの飛助のお供をして御神体を神馬に乗せて運んできたんだ。飛助は騎兵隊の補佐係で役目が終わったので神馬と共にこの在所に永住したんだね。その神馬が白馬だったことが由来だと言われているんだ。

飛助の子孫が登美昭夫さんの家で、その白馬に水を飲ませ、体を洗っていた池が今でも屋敷の中に残っているよ。運んできた御神体は現在徳田町の久志伊奈太伎比咩神社に合祀されて若宮八幡宮として祀られているよ。

昔の在所

莚(むしろ)の一大生産地で遠い昔から白馬の角莚として特産品だったんだ。江戸時代後期に北海道の松前でニシンの豊漁が続き、ニシンを入れる莚の需要が高まり、農家を営む殆どの家の作業場には莚を織る器械を据え付けて、副業として家々で競争して徳田特産の八幡莚として織っていたんだ。納屋には藁(わら)が積み上げられ、これをやわらかくする機械もあって小学校の子どもは縄(なわ)を作るのが仕事だったそうだよ。

莚は荷馬車に積んで七尾港へ運んで、貨物船に積んだらしいよ。昭和10年代まで生産が続いたようだね。高田石材店の裏に前野、中野、奥野と三台地が連なりそれは見事な野畑が広がっていたよ。野菜や葉たばこを栽培していたけど、今は所々が植林され当時の広大な野畑は姿を変えてしまっているね。ちょっと残念だけどしょうがないよ。

これから

さん田川、鷹合川、坂井川、佃川、白馬川と5本の川が流れ、総延長10km以上あるので河川愛護デーの草刈では追いつかず大変なんだ。それで班毎に割り当てて常日頃から草刈など整備してもらっているんだけど、お陰で最近はホタルがたくさん飛ぶようになったよ。ここは班単位で町会運営の協力をしてもらっているんだ。

集会所も毎週班毎に掃除をしてもらうし、白馬町子供の広場で毎年行なう在所の運動会も班対抗なんだよ。今年で44回を迎えたけど、少子高齢化で世話も大変になってきたし何時まで続けるのかという意見あるけど、これが在所全体の絆が強まる唯一の行事なので頑張って続けていかなければと思っているんだよ。

あきこの一言

国の歴史に通じる、郷土の歴史。
先人の営みに思いを寄せる。