こみみかわら版バックナンバー

第146回 田鶴浜高田


町名の由来

鎌倉時代の古文書に高田保として地名が出ているそうだよ。その当時の書状に高田彦次郎、高田弥次郎の名前が出てくるのだけど高田保の領主ではなかったのかと目されているから在所名の由来となったのではないかと思うよ。高田は高田七家と言われる草分け7軒で開発されたとも伝わっているようだね。

昔の在所

二宮川の流域に広がる在所でその水を利用し農耕で暮らしてきたのだけど、この川がよく氾濫して悩まされていたんだ。それで戦後の耕地整理で川の付け替えを行っているんだよ。その付け替え前の二宮川で歴史に残る乱闘事件が起こっているんだ。宗貞寺の前に水辺公園があるけど、そこから県道までの間に17mの高田橋が架かっていたんだ。

明治25年第2回衆議院選挙では中島、田鶴浜、高階、鳥屋地区の投票場が田鶴浜の東嶺寺だったんだ。鳥屋の人はこの高田橋を渡って投票に行くのだけど、ここに田鶴浜消防団「浜竜組」が陣取って投票場に行かせなかったんだ。負傷者多数、死者2名というから凄い話だよ。これは政府自らが衆議院での劣勢を挽回するためにあらゆる手段を使って野党を弾圧したんだ。野党側で現職の神野良の地盤が鳥屋で、政府側は中島の橋本次六を応援したんだ。結果は橋本次六が当選し、野党は事件の首謀者を訴えたけど控訴審で無罪になったんだよ。血生臭い歴史もあるけど、娑婆に暮らすということはそういうことなんだろうね。

現在の在所

20年前に町が宅地造成してから若い世代が移り住んで班が6班から9班に増えたんだ。インターチェンジが出来て商業施設が来て生活は本当に便利になったよ。

ただ近年はご多分にもれず少子高齢化の影響が出てきてね、高田では能登の国二十一番札所の橋爪観音祭と地蔵祭と夏に2回子供奉燈が在所を回るんだけど残念な事に今年は出せなかったんだ。子供たちはろうそく銭を貰うのが楽しみだったんだけどね。

唯一在所中が集まるのが高田伝統の平夫(ひらぶ)の日なんだ。今は一斉クリーン運動として道路と川の草刈り、町内のゴミ拾いを全世帯が参加して行うんだよ。平夫とは全員が平等に人夫として作業するということなんだ。この結束力を秋祭りにも繋いで行きたい所なんだけどね。在所の運営も世代交代の時期に来ているし、そろそろ新しい班から町会長が出て引っ張ってもらえればと思っているんだよ。

あきこの一言

人が住み、村ができ、助け合って暮らす。
昔も今も、高田の在所。