こみみかわら版バックナンバー

第149回 七尾市阿良町


在所名の由来

江戸初期の絵図には新町どをりと記載されているけど、その後に阿良町と変ったようだね。たいてい阿良町のルーツは荒れた土地に人が住み新しい町が出来ていく中で、荒町とか新町となって、同じ地名が先にあれば、当て字で阿良を用いたりするみたいだね。

昔の在所

前田利家が作った城下町で商家が多く、明治時代には七尾警察署や七尾町役場もあったけど明治28年の大火で町が全焼したんだ。明治33年に七尾町立商業学校が小島から移転してきたけど、これも明治38年の大火で焼失するんだよ。この学校が後に七尾実業、七尾商業、そして東雲高校となっていくんだね。

明治時代に汽船会社を興し北海道航路を開いて活躍した樋爪譲太郎氏のりっぱなお屋敷があったんだけど、戦後アメリカ占領軍が進駐し昭和25年まで拠点としていたんだ。その跡地に東映の映画館やバーなど飲食店が並ぶ繁華街が出来たんだね。八百屋、魚屋、おもちゃ、貸本、菓子、靴、床屋、うどん、時計、乾物、燃料、豆腐、クリーニング、桶、電気、自転車、産婆、等々この町だけで不便なく生活が出来たんだ。本当に活気があったよ。

お隣が馬車の荷台を作っていてね、私の家の前に馬を繋いで荷台や車輪の修理をしていたよ。そこのおばあちゃんが木屑を燃やした灰でジャガイモやサツマイモをふかしては遊んでいる子供達に食べさせくれたんだ。懐かしいよ。

現在の在所

なんと言ってもちょんこ山かな。本宮さんの春祭りで、米町、木町、一本杉、生駒町、亀山町と六台の山車が出るんだ。昔はしゃぎりは長男しかやれないんだ。阿良町は笛、太鼓は子供で三味線は芸者さんを頼んでいたんだ。酔った大人が芸者さんに花を打ち山車の上も賑やかだったよ。昭和34年頃までは御祓川を渡って東部地区も巡幸していたんだけどね。今は少子化で阿良町ではだいぶん前から録音テープを流して曳いているんだよ。

沢山あったお店もほとんど無くなって昔の賑わいは無いし、空家も増えるし、12班から11班に減らしたところなんだ。そんな中でとにかく出来る事を一つ一つ成していくことが大事だと思うよ。防犯灯のLED化は今年で完了するし、夜玄関を出ると賑わっていた昔よりも明るくなったよ(笑)。2月には臼と杵とせいろを準備して餅つき大会を行なったんだ。

子どもたちに日本の文化を伝えるのと、町内のコミュニケーションを深めるためにね。参加できないお年寄りにはあんこときなこの餅を届けて絆を確認するんだよ。大切に残すもの、変えていくもの、今まで以上に求められる時代になったようだね。

あきこの一言

中心市街地の今昔、時の流れに添い暮す。
いつの世も、幸せは己の中に見出すもの。