第150回 七尾市古城町
在所名の由来
室町時代の七尾城、戦国時代の小丸山城、二つの城があったけど、古い方のお城があったということだね。ここの大手門跡から本丸へと道が続いているんだよ。
後で七尾へ入った前田利家が城山を使わなかったのは、天然の良港を活用し新しい時代に備えたんだね。琵琶湖畔に信長が安土城、秀吉が長浜城と船での交易で経済を発展させていたからね。
昔の在所
戦乱が終わり、ここ武家屋敷跡に各地から移り住んできたようで、鹿島の武部から来たという話も聞いているんだ。江戸時代には大豆や小豆、大麦や小麦、菜種など栽培し、菜種は所口町の油屋に売って、12世帯、54人、馬4頭と記録にあるよ。
在所の八幡神社は七尾城内にあったものを移したらしいんだ。
年寄りに聞いたけど終戦後に忠魂碑を建て、その後スキー場を作っているんだね。小池川原町と土地を出し合って共同で作ったかなり大きなスキー場で市内から沢山滑りに来たそうだよ。
それと城山展望台が出来た時に殿様の子孫で荏原製作所創業者の畠山一清さんを籠で担いで登り、古城婦人会がめった汁を炊いてみんなに振る舞ったと叔母さんから聞いているよ。
これから
牡蠣棚に使う竹を出していたくらい孟宗竹の林が続き、辺り一面はきれいな畑だったね。今では竹薮は荒れ、畑も山になってしまったよ。そこを大手門跡から続く遊歩道が通るけど、毎年行なっていた草刈もここ数年やれていないんだ。シーズンには学生や家族連れが結構来るので何とかしないとなぁ。山頂の整備と合わせて行政で対応してもらえれば有難いんだけどね。
大正13年に小池川原、古屋敷、竹町の人たちと落ヶ谷の滝で雨乞いした16日目に雨が降ったんで、竜神様にお礼をと、十数人で抱える程の藁で作った大きな大蛇を大谷川に流し、府中の浜に掲げて燃やしてお参りしたと言うよ。そして感謝の不動尊を滝のそばに安置したんだ。真舘精三さんと娘婿の次郎さんが野ざらしではと祠を作ってくれたんだ。
真舘家では毎年11月28日に妙観院さんに来てもらい不動尊をお参りし、元旦は大雪でも不動尊に参詣してからお雑煮を頂くというから、恩を忘れず人知れずお礼を続けている姿に頭が下がるんだ。共助とはそんな精神を一人ひとりが持ち合わせることだと教えられるんだよ。
あきこの一言
在所ごとを我が事とする精神、
歴史ある在所に見習う姿あり。