第151回 中島町横見
在所名の由来
伝わっている話もないし、在所事に詳しい人にも聞いたけどわからないんだ。
それでいろいろ考えてみたんだよ。今年は能登立国1300年、越前国から羽咋、能登、鳳至、珠洲の4つの郡が独立して能登國が出来たということだけど、ここは旧鳳至郡と隣接する在所でね。そして在所のほとんどが隣の穴水町曽福のお寺の門徒で、そんな事から想像して地勢的に歴史の中で両隣の在所と上手くやっていくために、横を見ていかなければならんこともあったかもしれんね (笑)
誰か本当の横見の由来を知っている人がいたら教えてほしいんだけどね。
在所の昔
年寄りから聞いた話をいくつか紹介するよ。
幕末の頃、在所に佐野太郎左衛門という侍がいたんだ。新潟から来た武士で外の室木さんからお金を借りて北前船の事業を始めたんだ。新造した北前船の初航海でしけにあい沈没して借金だけが残ったんだ。
この侍は在所のためにも働いた人でね。山と海に挟まれた在所の田んぼは千枚田のような段々の田んぼだったんだ。この田んぼに山から水を引く水路を作るとき、夜、在所の人に高張提灯を持たせて、提灯の高さで勾配の目処を付けて水路の位置を決めていったそうだよ。
もう一つ、田岸との境に臼坂という茂みがあって、そこに天狗様が足をぶら下げて昼寝していたんだ。その天狗様の足を侍の子孫が刀で切り落としたんだ。その時大きい雷が鳴り天狗様は能登島に行ってしまったんだ。その後、侍の家の祖父さんが重い病気になり、何とか治してあげたいと願う孫に、枕の下に仏様を敷いて寝れば治るとお告げがあったんだ。それで曽福の門徒寺に頼むけどそんな罰当たりなこと出来ないと断られたんだ。それを聞いた釶打上畠のお寺が人助けのためなら仏様も許して下さるじゃろと貸してくれたら、なんと病気が治ってね。それで佐野家は上畠のお寺の門徒に変わったと伝え聞いているんだ。
現在の在所
山裾にあった在所に昭和7年鉄道が通ったので全世帯が海岸に移ったんだ。海岸線の曲がりくねった細い道が国道となり、在所の山の殆どがゴルフ場建設用地として買収されたりと移り変わりを感じるね。
人が減っていく中、横見を気に入ったと来年4月に神戸から4人家族が移住してくるんだ。このご時世に明るい話題で嬉しいね。
あきこの一言
お侍と天狗様、小さな在所に面白い話。
歴史の中に活かされて、今に暮らす。