第155回 中島町宮前
町名の由来
お熊甲大祭、通称二十日祭りの本社前にある在所だから宮前なんだよ。七尾市と合併前は、宮の前だったんだ。七尾市になって宮前(みやまえ)になったけど、中島の人は今でも(みやのまえ)と呼んでいるよ。
お熊甲祭り
熊甲祭りの本社の正式名称は久麻加夫都阿良加志比古神社(くまかぶとあらかしひこ)で、これは日本で2番目に長い名前らしいね。ちなみに1番は奈良県明日香村にある神社だそうだよ。
9月20日には19の末社から猿田彦を先頭に、鐘、太鼓に神輿、枠旗が集まる能登の奇祭の一つで、七尾市ではいち早く昭和56年に国の重要無形民族文化財になっているんだ。
祀ってある神様は3世紀から4世紀ころの朝鮮の王族だとも言われているけど、祭りの原型はもっと古く、紀元前の中国、殷、周の時代にあると横田在住の篆刻(てんこく)作家の大場さんが断言していたよ。それは大場さんが篆刻の漢字を調べていた時に、青銅器に彫られた金文で篆書体の中で一番古い形に、熊甲祭りの枠旗と同じような、どぼんこをつけた枠旗を人が担いでいる象形文字のような、旅という字を見つけ驚いたと言っていたよ。
もともと旅と言う字は軍列を意味して、旗を掲げて多くの人が他所に出向くということだそうだよ。それで昔は五百人の軍隊を旅団と言ったのだね。そういえば祭り道具も槍や薙刀、弓矢など武具を揃えて行列しているし、釶打地区の新宮祭は出陣の太鼓だと言われ、熊甲祭りは凱旋の太鼓だと言うから、昔は五穀豊穣を祈るのと違う意味があったのかもしれんね。
現在の在所
3年前に青年団と壮年団を解散したんだ。高校生以下が4人しかいなく高齢化が進んだよ。年に1回の防災訓練を兼ねてグランドゴルフ大会と懇親会をしているけど、あと特別何かをという事はないよ。
ただ二十日祭りだけはお膝元なので頑張らないといけないね。宮前の太鼓は在所で一人の女子中学生の友達に応援に来てもらっているけど、可愛い子ばかりで祭りの華になっているよ。露天も昔は100店は並んだけど今はだいぶ減ってしまって寂しいよ。宮前は熊甲を核にして売り出すことが出来ないのか、知恵をだす正念場だと思っているんだ。
あきこの一言
古代からの神事と祭り、
宮前の空に映える真紅の大旗。