こみみかわら版バックナンバー

第157回 七尾市藤野町


在所名の由来

町の旗も神輿の幕も藤の花で「の」の字が描かれているんだ。
昔は矢田郷村の在郷で青い藤の花があちこちに、たくさん咲いていたことから
在所の名前になったと言われているんだ。

昔の在所

東部中学校を建設するとき埋蔵文化財の発掘調査をしたら、遺跡が出て二千年前の供養塔を始め弥生時代の住居跡があったんだ。そんな古くから先人が暮らしていたんだね。

明治12年頃からナス栽培が始まり大正時代に藤野ナスという優良新品種が作られたほど園芸作物が盛んな在所だったんだ。私が子どもの頃も沢山の家がナスを作っていてキュウリやカボチャなどとリヤカーに載せて毎日市内の得意先へ売りに行っていたよ。そんな光景が昭和30年代まで続いていたと思うね。

耕地整理も早く昭和4年に完成し9割方の田んぼが200坪になっているよ。
昭和25年に農業試験場跡に二軒長屋の市営住宅26戸が建設され、平成3年に東部中学、平成11年11月11日にナッピーモールがオープンして一挙に市街化が進んだよ。
平成18年から159号線の拡幅工事で立ち退きが始まり、七尾唯一の4車線で中央分離帯のある立派な道路が出来たけど、これは住む人にとっては案外不便になってしまったんだよ。

現在の在所

少子高齢化の中で町内をいかに結束維持していくかが大きな課題だね。全世代を通じて在所が振れ合えるのは祭りだと思うんだ。
小さな在所の起爆剤になればと昨年10月に100年ぶりに神輿の修繕をしてピカピカの神輿で町内を回ったけど良かったよ。御招待の家では最後に七尾まだらの唄と踊りも子供たちで披露するんだ。

それと明治元年より藤野町で住んでいて亡くなった人の追善供養を毎年2月に若衆御講として執り行っているんだ。
現在までに487人の法名と命日、俗名を書いた掛け軸があり二幅目になっているよ。
神社の一音観音は一言観音とも呼ばれ、1回の願い事は叶えてくれると言われているので毎年受験シーズンにお参りにくる人がいるよ。但し2回は聞いてくれないんだ(笑)。近くに店が並び、中学生の声が聞こえ、住み良い町になったことに感謝して、次世代に藤野魂を繋いでいかんとね。

あきこの一言

先人を偲び、知恩報恩の心を繋ぐ、
藤の花、咲き乱れし在所、今も輝く。