こみみかわら版バックナンバー

第164回 能登島須曽町


町名の由来

弘法大師空海が教えを広めるためこの地に来た時、在所を流れる衣川に遡上する鮭を所望したところ、村人がこれを拒んだら「衣川裾ほころびて鮭もあがらず」と詠じたことから、裾の「すそ」が地名の由来だと伝わっているんだ。
事の信憑性はわからないけど、欲深いと結局は本当に大切なものを失ってしまうから、あまり欲なことはしてはいけないよという教えだと思うね。驚いたけどその衣川に昨年鮭が遡上してきたんだ。吉報だね(笑)。

昔の在所

ナマコ漁と田んぼで暮らしてきた半農半漁の在所でね、衣川のお陰で水は豊富なんだけど離れた田んぼに水を回すため、山に二箇所マンポを掘って用水を通しているんだ。家の裏山に横穴を掘ってあるけど、そこから滴り落ちる一滴一滴の水を貯めて飲み水にしていたし、雨が降れば屋根からの水をバケツに入れては風呂に運んだよ。

昔は須曽の松茸は有名で沢山採れたんだ。しいたけくらいの扱いで味噌漬けにしていたけど本当に美味しかったなぁ。
観光客を入れて松茸狩りをやったら、あっという間に無くなってしまってね。十五年前に松茸再生事業に取り組んだけど上手くいかなかったよ。能登島大橋が架かる半浦の山は断崖絶壁で山肌が見えるけど、あれは山を崩して七尾港の埋め立てに運んだ跡だと母から聞いたよ。

現在の在所

須曽蝦夷穴古墳が昭和五十六年に国指定史跡になり、平成元年から整備されて綺麗になったけど、子どもの頃は鬱蒼と茂っていて、夏休みの夜に分校裏の細い山道を登って肝試しした遊び場なんだ。古墳は七世紀頃のもので雌穴と雄穴の二つ石室があって珍しく、構造も朝鮮半島の高句麗古墳に似ていると言うので渡来人の有力者の墓かもしれんね。
石室に積まれていた安山岩は、たぶん在所の岬「ゲンロク」から運んだと思うよ。そこは板状の石がカパカパ剥がれるので在所の人も剥がしてきては庭や玄関に敷いていたんだ。

老人の在所になったけど地域づくりは経済中心に考えんでも良いと思っているんだ。
分校時代は雪が降ればソリを作り雪を踏み固め一日中ソリで遊んで、暑い日は海で丸一日遊んでいたけどそれが授業だったよ(笑)。里山里海の中で欲を持たずのんびり落ち着いて暮していく幸せもあるので、今のこの良い雰囲気が継続できればと思っているんだよ。

あきこの一言

朝鮮文化が伝来し、海上交通の拠点となり
歴史を生き抜き、今穏やかなる須曽の在所。