こみみかわら版バックナンバー

第166回 七尾市熊淵町


町名の由来

若い頃に年寄りに聞いたけど、山の中で熊がいたからかなぁと、今ひとつはっきりしなかったよ。
鹿島郡誌によると、昔、荒熊を阿良加志比古・小彦名神が退治したからという説と、高麗(こま)ヶ淵がクマブチに転化した説が書かれているようだよ。

高麗は朝鮮の高句麗のことでそんな文化が伝わっていたのかも知れんね。高麗犬は神仏を守る獣だけど、ここは神仏に縁の深い在所だから高麗ヶ淵から熊淵に転化した説に興味を覚えるんだよ。

昔の在所

熊淵川の下流から生出(おいで)、仏前(ほとけのまえ)、熊淵と川沿いに三つの集落が点在する長細い在所なんだ。この世に生まれ出てから、仏の前に行き、そこを高麗ヶ淵と呼び高麗犬が守護している熊淵。
そんなストーリーを想像するんだよ。在所に伝わる話だけど、昔、仏前は熊淵川を挟んで今の反対側の斜面にあったんだ。そこに祀られていた馬頭観音が、ある晩、庄屋の夢枕に立ち地滑りが起こるから今すぐ避難せよと告げたんだ。

庄屋はその言葉を信じて住民を起こして向かい側に避難したら、その直後に大きな地すべりが発生して集落は壊滅したんだ。その馬頭観音を三十三年に一回御開帳して今も大事に祀っているんだよ。
十九年前に百二十名分の芳名録を用意して御開帳と稚児行列をしたけど、当日は県内外から七百名以上が参詣に来たので住職もビックリしているし、なぜこんなに人が来たか今でも不思議でしょうがないよ。
富山に出稼ぎに出る人が多く父親も黒部ダムが完成するまで出稼ぎに出ていたし、中三の時に熊淵川が氾濫して橋が全部落ちて黒崎の涛南中学から帰れなかったこともあったよ。

現在の在所

獅子舞を保存するため在所を出た若い人がいつでも気軽に里帰り出来るようにと山吹会を結成し飲み会など交流を続けてきたけど、そのメンバーも年老いてついに祭りが出来なくなったんだ。存続が危ぶまれた頃に宮を出る所から戻るまで全部ビデオ撮りしたんだよ。

今は春祭りには老いも若きも、男も女も全員参加で集会所に集まりそのビデオを観ながら酒を飲んで一日中ドンチャン騒ぎをし、秋祭りは囲炉裏が切ってある神社に女の人も上がってお供えの鯛を骨酒にして和気藹々と祭りを楽しむんだ。
顔を合わせることで状況も分かるし普段の会話も取りやすくなるからね。在所の存続を担う若い人に熊淵の団結力を繋いでおきたいと願っているんだよ。

あきこの一言

山間に団結する小さな在所、
神仏に護られ今に暮す。