第167回 七尾市中挟町
町名の由来
はっきりした由来は伝わっていないけど、地図で見ると面積の広い八田町と江曾町にすっぽり囲まれているのがわかるよ。そんなところから考えると両隣の大きな在所のちょうど中間に挟まれた小さな在所なので、中挟と呼ばれたんでないかなぁ。
昔の在所
在所の藤原四手緒神社は元々は第九代当主畠山義綱が建立した由緒ある神社だったんだ。明治維新の神仏分離で御神体の一部が民家に移管されていてね。昭和五十七年に町出身者にも呼びかけて在所一丸となって全面新築したのが現在の神社なんだよ。
小さな在所だけど神事は伝統を守ってしっかり行なっているんだ。伝統行事の虫送りも6月の第一日曜日の午前中に行なっているんだけど、本宮神社からお札を頂いて竹の棒に縛って在所の田んぼ五箇所に立て、そこを太鼓たたいて子供たちが大きな声で「田んぼの虫でてけー」と廻るんだ。
中挟では天保五年の凶作の時、豊作を願って私年号の久宝元年と改元しているんだ。飢饉の時には朝廷の正式な年号を勝手に変えてまで状況を変えたかったんだろうね。昔の人の苦労が偲ばれるよ。
現在の在所
少子高齢化が進み、時代も変わってきたので、昔のまま何も変えずにいる事には限界があると思うんだ。
祭りの世話をする藤神会から神輿を担ぐ人が少なくなったので台車を作ってほしいと町会に要請があったので昨年ついに作ったよ。獅子舞の踊りは男の子だけを貫いているけど、これもいつまで続けられるか時代に合わせて考えていかなければと思うね。
七尾更正園と災害時の協力協定を結んで防災避難訓練も合同で行い、在所は初期消火、避難誘導を手伝い、園には避難場所として給食や給水をお願いしてあるのだよ。七尾更正園の盆踊り大会には在所の人も招待してもらいたくさん参加しているし、なかばさみ里山保存会は田植えや稲刈りなどで交流しているよ。
今年は町会長と理事五名の改選が十二月にあるけど住人の四十歳以上七十歳未満の男女から選挙で選らばれるんだ。誰が町会長になっても、時代を読んで、時代のニーズに合わせて、みんなで明るく住みやすい中挟にしていかないとならんね。
あきこの一言
山の麓、古きを大切にしつつ
新しき時代に向って歩む在所。