こみみかわら版バックナンバー

第171回 能登島百万石


在所名の由来

昭和三十四年に石川県営パイロット事業の一環として、閨、通、田尻、久木の各一部、
六十ヘクタールを開墾した開拓地で、加賀百万石にちなんでたくさんの穀物ができるようにと
命名されたそうだよ。

当時を知る瀬成良信さん

昭和三十五年に十六戸の農家が入植しているんだけど、当時からの瀬成良信さんが詳しいので
一緒に話を聞かないとね。瀬成さんは親戚だった当時の能登島石橋町長から勧められ父親と一緒に
入植したそうです。

八ヶ崎出身で作事町に新宅していたけど、まぁやってみるかということで入ったけど
二十七歳は最年少だったよ。戦後パイロット事業が展開していた時期で入植者は全国から集ったんだね。
一人当たり三町三反歩(約3ha)の配分だったよ。掘っ建て小屋からスタートしたんだ。
お互いに頑張りましょうと一杯飲んでいたから結束力があったよ。一年後に小さな家を建て、
十年後には神社を建てようということになり島山神社を建立したんだ。

パイロットの事業計画ではリンゴ栽培だったのでやっては見たけどパッとしなくてね、
それで自由に好きなものを栽培しようということになったんだ。
ここは粘土質の赤土なので三年間ほどジャガイモを植え、その次にタバコを植えるようになったけど
タバコは専売公社が買い付けしてくれるので安定していたよ。不作でも六割は保証してくれたからね。

今八十七歳だけど六十五歳からタバコが下火になり七十歳でタバコは終わったんだ。
次に何を作るかという選択になってね、そこで息子たちが始めたのがネギだったんだね。
今は孫も一緒にやってくれているよ。

現在の在所

今は瀬成さんのように農業をやっている家が九軒あるけど、それぞれでいろんな取組をしているんだよ。
高農園さんは有機栽培でいろんな野菜を作って全国のレストラン向けに出荷しているし、
本格的に畑をするには広々としていて良い環境なんだね。それと農家以外の家も七軒あるんだ。
私のように自然の中でのんびり暮したいという人にも良い所でね。
排他的なことは一切なく新しく来た人に優しい在所で、のん気に暮らすにも良い環境だよ(笑)。

少子化と一極集中で能登島全体の人口も半分の二千五百人ほどになって高齢化も進んでいるけど、
つながりを持って仲良く暮らしていけばこんな安全で安心な場所はないと思えるんだ。

あきこのひと言

開拓者精神で半世紀を越え、
穏やかな笑顔、継続は力なり。