こみみかわら版バックナンバー

第172回 七尾市佐々波


在所名の由来

なぜ佐々波なのかはっきりしたことは分からないんだよ。
個人的には下佐々波から上佐々波と海岸線が長く、昔は岩場と岩場の間の長い砂浜にいつも
さざ波が寄せていたから、佐々波という地名になったんじゃないかと思っているんだ。

昔の在所

昔から漁業で栄えた在所で、定置の大敷網で暮らしを立てて来たんだ。
在所の桑原さんの家では先祖九左衛門が前田利家から扶持を受けて代々庄屋を勤めてきたんだ。
今も祭りでは宮を出たらまず桑原さんの家へ出向くのが慣わしなんだよ。
明治時代には戸長役場や郵便局が置かれ近郷十七カ村の行政の中心地になっていたようだね。
戦後は勝木多計男さんが大敷の近代化に尽力してくれて飛躍的に発展したんだ。

大敷には尻尾がついていて泳いでくるものは何でも獲れるよ(笑)。能登島水族館の
初代ジンベイ鮫はここで獲れたんだ。十一月から一月のブリが稼ぎ頭だけど近年は減少傾向でね。
それと海洋少年団の石川県での発祥の地が佐々波なんだ。ボーイスカウトの海版だよ。
私も港まつりでは鼓笛隊として参加して手旗信号なども披露していたんだ(笑)。

大敷網

昭和三十二年に佐々波鰤網組合が発足して定置漁業の近代化が図られてきたんだ。
岸から一キロ半沖の水深五十一メートル地点に全長六百メートルの三号網があり、
水深七十一メートルに全長五百六十メートルの二号網、水深九十五メートルに
全長三百九十メートルの一号網とあるんだ。それぞれ形も違うんだよ。
灘の海は潮の流れが速く海が川のようになって動いているんだ。
魚の習性を研究して網の形も研究されてきたんだね。

朝四時前に仲船、沖船、天馬船、運搬船が連なって出港していき、五時過ぎには
第一便の運搬船が港に戻り選別作業して七尾と氷見の市場に届けるんだ。
平成五年に法人化し、網の改良や機械化、施設の整備を進めてきたんだ。
灘の大敷網は定置網の業界では全国トップの水揚げを誇っているんだよ。
平成二十三年一月に六万七千尾達成の大漁で浜は賑わったよ。

漁港の堤防には美大生が描いた大きな絵が並び、鮮魚の直売もやっていた時期もあったんだ。
高齢化も進み在所で大敷に携わる人も減ってきたけど、団結心だけは繋いでおかなければと
思っているんだ。

あきこのひと言

高台の二宮金次郎と海を眺める。
港にブリとタイの大きなオブジェ