こみみかわら版バックナンバー

第179回 田鶴浜舟尾


町名の由来

約四百五十年前、織田信長時代の古文書に舟尾という名が出てきているそうだよ。
舟尾水門の辺りを白門場(しろもんば)と呼んでいるけど、昔はこの辺りはまだ海で、
そこに船着場があったそうなんだ。
長右衛門船、弥三右衛門船という二隻の百石船がつながれ、越中と交易していたという記録も
あるので、在所では船着場があったから舟尾になったのではないかと言っているよ。

昔の在所

約百七十年前に肝煎りの佐近四郎を中心に二ノ宮川から灌漑用水を引くため山を貫通するマンポを
造っているんだ。マンポは七十メートルで大小二本あって大きいほうは直径四メートルもあるんだよ。
それで舟尾川が造られて四十四ヘクタールの新田を開発しているんだね。

大正時代から牡蠣貝の養殖も始め生産地として栄えていたようで、多い時で十五軒、
昭和五十七年には九軒あって牡蠣剥きする共同作業場を建ててやっていたけど、
今は担い手がなく一軒もなくなってしまったよ。

それと明治時代は和倉、奥原、舟尾、新屋、川尻、垣吉の在所が集まった
端村(はしむら)だったんだ。その中心地が舟尾で小学校や役場があったんだけど、
昭和十二年に分けられそれぞれ七尾と田鶴浜に合併されたんだね。

現在の在所

ご多分にもれず少子高齢化は否めず、祭りの存続が危ぶまれてきたので、昨年から祭り保存会を
立ち上げて区民みんなで参加して盛り上げていこうということになったんだ。
それと自治公民館行事として三世代ふれあい祭りを開催しているよ。
納涼祭では盆踊りとカラオケやゲーム、飲んで食べてみんなが楽しみ、秋にはグランドゴルフ大会を
やって高齢者が楽しみ、十二月には臼と杵でもちつき大会をやって子供達が楽しんでいるんだ。

平成十三年に田んぼの土地改良した時にグランドゴルフ専用の広場、鶴の里公園を
造ってもらったけど、三十二ホールもある立派なゴルフ場で毎年大きな大会も行なって
近隣からも多くの人が集まるんだ。一昨年から大晦日に神社に初詣にくる人たちに
年越そばを振舞っているんだよ。付き合いが希薄にならないようにあの手この手で
在所の中のコミュニケーションを深めていかないとね。

マミのひと言

大きなマンポで新田開発、
今も力を合わせ志を引き継ぐ在所。