こみみかわら版バックナンバー

第180回 中島町浜田


町名の由来

熊木川河口付近に広がる浜辺を開拓して田んぼにしたことから浜田と
呼ぶようになったと言われているんだ。
鎌倉時代親鸞さんが教行信証をしたためた頃と同時期の古文書に熊木荘の浜田里という
地名が出てくるので、この辺りのことではないかと推定されているんだよ。 

昔の在所

江戸時代後半には稼ぎとして縄やわらじなどが記録されているけど、
わら草履(ぞうり)の産地として古くから「浜田草履」として名を残していたそうだよ。
昭和の初めまでは鉄道が無く、浜田の天神橋下から定期船が出て七尾と結んでいたんだ。
昭和三年に能登中島駅が開設し国道二四九号線も通ったら戦後どんどん人が集まって、
中島町の四十五町会の中で一番大きな在所になっているんだよ。

つの時代かわからんけど二月二十日に浜田に大火があったらしくて、
二度と火を出さないようにと毎年その日には火祭りをやっているんだ。
七月の納涼祭も、かつては熊木川に灯籠を流し、舟を出して奉燈や鉦太鼓を乗せて
川下りをして盛大だったけど、今は残念ながら行われていないんだよ。

現在の在所

ここは牡蠣の養殖業者も多くシーズン中は町内外からカキ貝を食べに
数千人が訪れて賑わっているんだよ。
大雨になると熊木川がよく氾濫するので拡幅工事が行なわれるんだけど、
天神地区の登録有形文化財の室木邸をはじめ十戸ほどが移転しなければならないんだ。
転出を予定する家もあり人口減も心配だけど、一方で十五年前に出来た新興団地の
「向陽タウンはまだ」には在所外から移り住む若い人らも多く、今では壮年団の
主流メンバーとなって祭りや社会体育大会などの行事に頑張ってもらっているんだよ。

熊甲祭りの大旗は町で一番大きく、祭りをしっかりやらなければという自負があるけど、
在所の半分が六十五歳以上と高齢化が進んで運行が難しくなってね。
ひょっとしたら今年の祭りであの大旗が見納めになるかもしれないから
九月二十日にはぜひ見に来て下さいね。
在所が広いので新旧住民の付き合いが疎かにならない為にも祭りは大事な交流の場なんだよ。

まみの一言

見栄も張らず、媚びもせず、
大きな大旗、大らかな在所。