こみみかわら版バックナンバー

第184回 七尾市西三階


在所名の由来

明治時代に東三階と西三階に分村されたそうだよ。それまでは三階村で二宮川の東西と般若野の出村と合わせて三集落があったことから三階になったという説もあるようだね。

室町時代に現在の東三階を中心に開墾が始まり農民が増える中で、天正八年に二宮川の西側が長連龍領、東側が前田利家領となったので実質的には西三階としては四百四十年の歴史があると聞いているよ。

昔の在所

子供の頃は二宮川でアユ、中川でフナ釣りをし、秋にはみんな稲刈りを手伝い、その田んぼでソフトボールをして、冬は裏山で竹スキーをして自然が遊び場だったよ。そして鞍馬天狗、赤胴鈴之助、矢車剣之助を見てチャンバラをして、力道山を見てプロレスごっこだよ(笑)。

夏には漆沢池で泳いで遊んだけど、この池は約三百年前に作られ周囲二キロもあるんだ。明治二十五年八月炎天下、池の修繕工事中に土手が崩れて人夫十名が埋まり必死の救出をしたけど六名が亡くなるという悲しい歴史もあるんだ。
でも名誉な話もあってね、全国ため池百選に石川県から加賀の鴨池とこの漆沢池が選ばれているんだよ。

現在の在所

毎夕五時に「ふるさと」のメロディーが流れ、まだまだ自然はあるけどいつしかセミの鳴き声が聞こえず、ホタルが少なくなって高齢化も進んだよ。だけど老和会が積極的に活動し有志による景観維持など住みよい町づくりに励んでいるんだ。

在所にある曹洞宗の徳雲寺は高階小学校発祥の地なんだよ。宗派を超え在所の寺として二百四十年以上も西三階の人が支えてきたんだ。今は東京から移住してきた松本好全さんが出家して寺を守る傍ら、地域の人に集まってもらって体操教室やビーズ細工など定期的に開いてくれてね。

高階にはお寺が四ヶ寺あってほとんどはその門徒だけど西三階だけは姓ごとに近隣の十四ヶ寺の門徒に分かれているんだよ。各地から人が集まって来た在所なんだろうね。この春、若者二人が都会の学校へ進んだけど、山青き水澄む故郷が志を果たしていつの日にか帰ってこいよと言っているように思えるし、在所の人々もそう願っているんだよ。

あきこの一言

地域の一員として、地域のために尽くす。
そんな人が集まる高階地区の素敵な在所。