こみみかわら版バックナンバー

第188回 七尾市新保町


在所名の由来

新保の沖に天神礁という岩があるけど、昔そこから神様が上がったので天神社が祀られ、
それにちなんで神保となり後に新保に転化したという説もあるよ。

新保町は加賀、小松、能美、金沢、羽咋、能登町にもあり北陸に多い地名で、
多くは新しく開墾した土地を指すそうだよ。
石高を記した一六〇二年の古文書には新保は出てないけど一六五六年の記録には
新保が出てくるから江戸時代初期に名前がついたと推測できるね。

新保の田んぼは花園の池岡さんがお金を出して干拓したとも聞いているんだ。

昔の在所

紀元前三千年の頃に赤浦潟を望む大地に人が住みだし、紀元前千五百年頃に
そこから新保や万行などに移った人たちがいたんだね。
新保A遺跡からも縄文時代の石斧や矢じり、土器がたくさん出土してるよ。

私が子供の頃には遠浅の海水浴場があったんだ。
桟橋が三つ、飛込み台まであり、宮の境内に更衣室やシャワー室、
売店もあって市内の小学校からバスで来ていたよ。
男でもビキニのような三角の黒猫という海水パンツだったな(笑)。

米作りが命の在所で学校から帰ると納屋にどこどこの田んぼと張り紙がしてあり、
そこへ手伝いに行くんだ。タニシもいっぱいいて弁当のおかずになったよ。
粘土質と砂の土加減が良く水は湧水でおいしいお米が育つんだ。
昭和天皇が和倉温泉の銀水閣に来た時は新保のお米をお出ししたんだよ。
冬場は藁で筵とさんどらを作っていたけど、さんどらとは七輪コンロの梱包材だよ。

三区交進会といって新保、祖浜、松百が合同で祭や若衆報恩講をしてたんだ。
三町の神輿が各町内を回っていた時もあったけど三十年ほど前からやらなくなったんだ。

新保の虫送りは「うんか虫でてえけ!」ドンドンと太鼓を鳴らし田んぼを回り
最後に崖の上から古い太鼓を落として遠くまで転がったら豊作だと言っていたよ。

現在の在所

年一回の行事として五十年以上続く「歩こう会」ではおにぎりを持って健康と
親睦を兼ね、一月の村御講では前年亡くなった方の追善供養をしているんだ。

故郷を後世に繋ぐために自然を創る「シンボ」という団体をつくって
ホクリクサンショウウオなど希少生物の生息状況を調べたり桜を植えたり
草刈りをしたり自然保護活動を行っているよ。

小さな在所でまとまりがあるので、これからも思いやりのある在所でありたいね。

まなかの一言

自然と歴史、優しさいっぱい、新保の在所。