こみみかわら版バックナンバー

第189回 中島町鹿島台


在所名の由来

終戦後に鹿島郡中島町の長浦地区と深浦地区の山林を開拓して出来た在所なので、
鹿島郡の台地、鹿島台と名付けたんかなと思うけどね。

昔の在所

終戦後すぐに政府の緊急開拓政策を受けて、当時の西岸農業協同組合が
中心になって引揚者の受け入れと地元の二男、三男の仕事の手当て、
それと地元農家の専業化対策の開発計画を立て、積極的に運動を展開した結果、
二町歩というから約二ヘクタールを十年間で開墾する権利と義務が与えられたんだよ。

当初五十二世帯が入植し頑張ったけど昭和三十年の検査で不合格になった人たちが
離脱して二十九世帯、百二十一人となったんだ。
広々とした台地は風が強かったけど、海が見え見晴らしも良く米以外の作物は
何でも作ったらしいよ。ただ時代と共に離農者が増え、養蚕、葉たばこ、酪農が定着したんだね。

砂利道で街灯もない寂しい場所だったけど、七尾教会の分教場があって牧師が七尾から来て
子供たちはそこでゲームしたりお菓子を貰ったりして遊んでいたと聞いているよ。
小さな宮を立て九月二十三日を在所の祭りと決めて神事の後に一杯飲んで交流を深め、
昭和三十七年に建てられた婦人ホームは集会所代わりにも使っていたようだよ。

現在の在所

広域農道が整備され、能登島への農道橋が架かり、近年は太陽光発電所も出来たね。
秀楽苑と寿老園も在所の一員として運営に協力してもらっているし、
交通アクセスも良くなったおかげで、若い人も移り住んでくるようになったよ。
開拓当初から住んでいるのは水谷さんと福岡さんの二軒だけど、移り変わりの中で
今暮らしている人は時々の先人に色々とお世話になって来たんだ。

来る人拒まず大歓迎してくれる伝統があるし、自然豊かで、周りを気にしないで生活でき、
みんな人柄が温かいし、住みやすい所だと私自身も実感していますね。
町会長は順番に回しているけど十世帯しかないから世帯主の全員が町会長経験者なんですよ(笑)。
今では祭りは行っていないけど春と秋に道路の除草と総会を開いて情報交換して、
程よい人間関係を保ちながら、それぞれが楽しく暮らしているので、これからもそうありたいですね。

まみの一言

小鳥の声、風の匂い、人の好さ。
お日様ぽかぽか、のびのび散策。