こみみかわら版バックナンバー

第190回 中島町町屋


在所名の由来

虫ヶ峰山麓にはかつて真言宗の七堂伽藍を備えた本格的な寺院もあったとも言われ、
人家も密集していたそうで、そんなことから町屋と呼ばれるようになったという説があるようだね。

虫ヶ峰

町屋は今も昔も虫ヶ峰なしでは語れないんだよ。
標高約二九六メートル、虫ヶ峰の山頂に九尺四方の小さな社殿があるけど、
これは在所の白山神社の本殿、奥の院なんだ。その敷地の遺構や周囲の五輪塔、
板碑などを調べると南北朝から室町時代には虫ヶ峰山麓には寺院などの施設が
あったと推測できるようだよ。

戦国時代に上杉謙信の侵攻で焼き討ちに合ったけど、在所ではこの山を御前(ごぜん)と呼んで
山岳信仰の霊山として尊んできたんだね。春秋の村祭りは在所の白山神社の拝殿で行い、
田植え上がりの「こくぞう祭り」は虫ヶ峰山頂の本殿で盛大にやっているよ。
全戸の田植えが済んでから日が決まるんだ。前日には男が登山道と社殿、頂上広場の整備をして、
女性は御馳走づくりをするんだ。当日は家々の御馳走をお重に入れて一家そろって登るんだよ。

稲株を一つ一つ鎌で割って鍬でおこし、全て手作業で田植えをした時代を想うと、
感謝と豊作の祈願は切実だったと思うよ。神事が終わると車座になって宴が始まるんだ。
当番がお世話するけど昔は酒の一升瓶八本を竿に吊るして登ったんだ(笑)。
新緑の中で老若男女が語り、唄い、和気あいあいと時が過ぎていくと、当番が銚子二本を持って
車座の真ん中に出て「これでおつもりでございます」と挨拶するんだ。
最後のお酒を注いだら皆で「ごっつおさんでした」と挨拶をして後片付けして千鳥足で山を下りるんだ。
在所が一番結束する大事な行事なんだよ。

現在の在所

虫ヶ峰には平成十五年に風力発電の風車建設が始まり林道も整備され今では車で行けるんだ。
十基の風車も虫ヶ峰の風物として馴染んでいるようだね。ほ場整備も終わったけど高齢化で
担い手はなく農事組合法人なたうちと浜田の松田さんにお任せしているんだ。
おかげで年寄りは畑専門になって健康にもちょうど良いのか九十歳代の元気な人が多いんだよ。
空き家には田舎住まいが良いと二組が移住してきたし、四百メートルの間に全戸が連なる小さな在所で
歩いて安否確認も出来るし、仲良く団結心のある平和な在所だよ。

まなかの一言

畑とおしゃべり、穏やかな顔
素敵なおばあちゃんたちがいる在所。