第191回 中能登町黒氏
在所名の由来
鹿島郡誌には小鳥のクロジが在所の流域に生息していたことが由来だと書かれているけど、鳥屋町史では平安時代ここは藤原頼長の所領地で一青荘園の一部に属していたが、保元の乱で後白河院の所領に変わり、更に石清水八幡宮宿院の寺領となった時に一青荘から分離され、この地の中心人物が九郎次という人だったことが由来だと書かれているよ。
戦国時代以降の古文書で「くろち村」が「黒地村」と変わり、いつしか「黒氏」に転化したんだろうね。
昔の在所
昔は木挽と大工が多く山仕事に石動山へ行って、越中へも大工仕事に沢山の人が行っていたようだね。それで氷見との縁組も多かったと聞いているよ。
昭和に入り酪農や養豚、養鶏が始まり、織物で栄えた時代もあったんだ。
黒氏は東西に長く鹿島バイパスと七尾線の間の集落を「在所」、西往来周辺を「深沢」(ふかそ)と呼んで二地区あるけど、ちょうどその中間に昭和四十三年から住宅団地の建設が始まり、現在七十七世帯の「黒氏新町」が出来て三地区となったんだ。それぞれに分館として町内会があり新町は平成十八年に地縁団体を設立して運営しているんだよ。
明治二十一年、お寺も含む十三世帯が焼失した大火事があり、在所の八幡神社で火事を絶対出さないと肝に銘じて毎年六月に火祭りを行っているんだ。
現在の在所
三地区が協力してやって来たけど、高齢化が進む中で今まで以上に結束して、次の世代に受け継いでいかないとね。
広い在所の絆は祭りが一番なんだ。黒氏には曳山が二基あって、一基はふるさと創修館に展示されているけど、祭りの心意気が強い在所だよ。今年、獅子頭と烏帽子、蚊帳、赤尾っぽを新調したけど、獅子舞は明治四十三年頃に氷見の吉岡村から習ったんだ。演目は六種あるけど大正十三年に獅子舞の奥義「獅子殺し」の指導を受けて現在の原点が出来上がったと伝えられているよ。
今、力を入れているのが防災組織の強化でね。いつ起きるか分からない災害に備えて、各地区に責任者を配置して実践さながらで各戸を回り人数確認して情報を本部に集める訓練をしたよ。移り行く時代に合わせてみんなで力を合わせていかないとね。
あきこの一言
古きを大切にし、新しきを活かす
懐深き黒氏の在所