こみみかわら版バックナンバー

第192回 七尾市亀山町


在所名の由来

最初は味噌屋町だったんだ。昔この町に亀や門という大きな味噌屋があって、それで味噌屋町と呼ばれたんじゃないかな。

それと郵便局前の橋は亀橋と呼ばれているけど、それもその亀や門が由来だそうだよ。

郵便局から小丸山公園下の花嫁のれん館までの通りが現在の亀山町だから、町名変更が行われた時に、亀橋の亀、小丸山の山をとって亀山町になったんじゃないかと想像しているんだ。

昔の在所

昔のガタガタ道がセメント道になった頃は子供たちが石けりやケンケンパーをして通りには一日中子供たちの歓声が聞こえていたね。どの家も玄関前を掃除して水を撒き、ゴザやムシロを広げていたよ。

小丸山公園の下に郡役所や郡会議事堂、愛宕山には七尾鹿島の公会堂があったんだ。相撲場の所ではサーカスがテントを張っていたけど、すり鉢状にしたため公園下の駐車場の所に移り、そこから府中の波止場に移ったんだ。

七尾駅を降りた七尾中学校、七尾女学校、七尾商業学校の生徒は学校ごとに駅前で整列してから集団登校していたね。通りにはカランコロンと下駄の足音が響いていたよ。本当に人通りが多く、偉いさんも通るので洋服屋が四軒もあったよ。

戦時中、光徳寺に暁部隊が駐屯して小丸山公園に三つの防空壕を掘ったと聞いているよ。

現在の在所

ちょんこ山の車輪と車軸を新調したけど、去年今年と運行が中止になって残念だよ。

亀山町が本宮神社のちょんこ山に参加したのは百六十五年前の安政三年と記録があるんだ。他の五町に比べて遅くに参加しているんだけど、これは味噌屋町の一部が印鑰神社の氏子であったことや、公園下にあった味噌屋町の鎮守の住吉神社が本宮神社に合祀されたなどの経緯があってのことだと聞いたね。

曳山の人形は「髭じっこ」の住吉明神だけど、親世代の人たちは竹内宿祢(すくね)だったと言っているのでいつどんな理由で変わったのか不思議なんだよ。

明治二十八年と三十八年の二度の大火に見舞われてから火の用心が続いているよ。各家順番で拍子木をカンカンと叩いて夜八時過ぎから町内を回るんだ。コロナ禍で催しごとが出来ないけど早く安全に安心して出来るようになってほしいね。

まなかの一言

城下の小さな在所、
時代の変遷を感じる歴史あり。