こみみかわら版バックナンバー

第193回 七尾市光陽台


在所名の由来

ここは区画整理事業で出来た新しい町なんだよ。

昭和六十三年に光陽台と名付けられたんだけど、和倉と石崎の土地にまたがった場所だったので、
和倉町ひばりや石崎町香島のように和倉とも、石崎とも、冠をつけられなくて、すったもんだがあって、
それで市役所が光陽台を提案して皆が納得したという経緯があるんだ。

海抜九メートルの小高い場所で、太陽の光が燦燦と輝く台地というイメージじゃないかな。

昔の在所

区画整理した宅地に十六世帯が家を建て、住み始めた時はまだ町内会が設立されていなかったんだ。
だから七尾市広報も配布されず、市役所へ貰いに行くと郵送代を支払えば郵送すると言われ、
そうやって個人的に送ってもらう人もいたんだ。

和倉温泉の旅館から助成金を頂いて町会設立をしていくんだけど、当時の町会費も月に千円、
八百円、六百円の中から自分で払える金額を選んでもらったんだよ。

初代町会長に坂下さん、相談役に舟田さんに就いて頂いたけど、町会運営に必要な備品や道具など
町会長が自腹で用意してくれ本当に尽力されていたね。
二代目の林田さんは光陽台を知ってもらおうと市役所からソメイヨシノの苗木を四十本手配してもらい植えたんだ。
それが今、毎年見事な花を咲かせているよ。

当時は和倉小学校と石崎小学校、どっちの小学校へ入学するかが問題になってね。
結局、和倉と石崎の連合町会長の承諾印を貰えばどちらでも良いということになって、
それぞれの家庭の都合に合わせて入学できることになったんだ。
今は連合町会長のハンコが無くても自由に決められるけどね(笑)。

現在の在所

田舎の都会、不思議な空間だよ。

駅前から温泉街に通じる大きな道路が出来て、能登島大橋に通じる道路と交差して、
和倉温泉の入り口のような場所になってからはスーパーや飲食店が建ち並んで便利な所になり、
一歩入れば本当に静かな住宅街なんだ。

ここはほとんどが町外から移り住んだ人たちだけど、今でも近隣の町から若い世帯が移って来ているよ。
古い在所でないから、しきたりやしがらみが無く、それぞれが丁度よい距離感で暮らせていると思うね。
それでも五班体制で春秋の大掃除や防犯活動、雪すかしなどみんなで力を合わせる時は協力してやっているんだ。

コミュニケーションを大事にして、みんなが健康で幸せに暮らしていける町内でありたいと願っているんだよ。

まみの一言

歴代町会長の奉仕の精神が宿り、
「お蔭様」で結ばれる光陽台の在所。