第195回 中島町藤瀬
在所名の由来
由来は特に伝わってないけど、在所の藤津比古神社の資料には「本当は藤津という在所名が、草書で書かれた津を瀬と読み違えたことから藤瀬になってしまったこと、返す返すも口惜しき事に候」と書かれているそうだよ。
でも本当にそうなのか真意は分からないんだ。熊木川沿いに二キロも沿った在所だから川の瀬付近に藤の花が咲いていたのかもしれんしね。
昔の在所
室町時代に建立された藤津比古神社は釶打地区と富来の一部を氏子とする郷社で、本殿は国の重要文化財に指定されている格式ある神社なんだ。
新宮(しんごう)の祭りといってね、夏には「うすずみ」、秋には「枠旗祭」が行われるけど、八月十四日の「うすずみ」の奉燈は能登で唯一、バッテリーを使わないで、昔からのろうそくの灯りなんだよ。太鼓と鉦のお囃子に「やんさこ」を唄いながら、道中をゆらりゆらりと進む奉燈は何とも幻想的でね、毎年多くの常連が見に来ているよ。
在所の座主家も国指定重要文化財で、合掌かやぶき入母屋造で江戸時代のこの辺の一般的な農家でね。中島町でも数十年前なら、かやぶき屋根の家が何軒かあったけど、そのままの形で残っているのは座主家だけじゃないかなぁ。令和元年に傷んだ棟の修理をしたけど京都のかやぶきの里・美山町から専門業者が来てやったんだよ。
その座主家の二代前の当主正盛さんが神経痛に悩んでいたところ、昭和五十四年四月二十八日の深夜、夢枕に月光観音が現れ裏山の水が効くとお告げがあったんだ。それを飲み続けたら本当に治ったことから「座主の水」として有名になってね。どれだけ置いていても腐らない水で遠くからも沢山の人が汲みに来ているよ。今では藤瀬霊水公園として綺麗になって管理されているよ。
現在の在所
平成三十年から田んぼの区画整理、ほ場整備事業が始まって、今、大きな田んぼを造成工事中だよ。
人口は昭和三十年には七十一世帯、三百五十五人だと記録があるから、それから半分に減ったんだね。そんな頃は田んぼや畑仕事を中心にどの家も大家族で暮らしていたけどね。
近年はほとんどが兼業農家で高齢化が進んでいるから、若い世代には出来るだけ在所で暮らしてほしいと思うよ。私の家に双子の孫が生まれたけど嬉しいもんだよ。
あきこの一言
田園を流れる熊木川
神仏と豊かな自然、里の在所