こみみかわら版バックナンバー

第196回 七尾市細口


在所名の由来

本当のところはよく分からないんだよ。
江戸時代に細口村があったのは確かだけど、八幡から分村したとも聞いているんだ。
白馬に抜ける道の入り口があって細い道だったというから細口と呼ばれていたのかもしれんね。

昔の在所

能登中央自動車学校の場所を源田山というけど、昭和五十二年、敷地造成中に弥
生時代の遺跡や中世の館が発掘されているんだよ。古くから人が住んでいたんだね。

そこに霧谷の池があって水が湧き出ているんだ。長い徳田段丘の中で水が湧くのはここだけでね。
台地に上がる道は一カ所だけ、近くに鷹合川が流れ子供のころにはアユやウナギを捕って遊んだけど、
昔から人が暮らすのには持って来いの環境だったと思うね。
能登で一番最初に稲作が定着した場所だと言われているんだ。

在所の始まりは七軒だったと伝わっているよ。
一集落一門徒のような在所でほとんどが相生町の西休寺門徒だから古くからの家が多い在所だね。

こんこんと湧く霧谷の池でトマトやキュウリを洗って食べたけど、
水が良いので昔は池付近に清姫、鹿渡、山王の蔵元が酒を造っていたよ。

現在の在所

鷹合川改修の一次計画がようやく終わりが見えたよ。
細口交差点付近によく水が付いたけど平成七年に話があって二十五年以上の歳月が流れているんだ。

町内行事は祭りと慰安会だけど、獅子舞も親御さんが協力的なので有難いよ。
一人暮らしの家も多くこの先の高齢化が心配だね。
自助、共助と言っても若い人がいないとね。正直将来の町会が成立するのか心配するよ。
七尾市も合併してから二万人も減っているので七尾、能登全体で何とかしていかないと
在所の問題で片付けられないよ。

県道2号線(西往来)と県道七尾鳥屋線(のと蘭の国沿い)が通るので沿線に企業も多く
尽力頂いているけど、やはり働く場所、住む場所が無いと若い人も出て行くばかりだよ。

一次産業は各地域で、二次、三次産業は七尾で担うとか、山を造成して安い住宅地を作るとか、
いろんなプランを考えて何とかして、能登、七尾が浮上させないとね。

あきこの一言

時代が大きく変わる今、先を見据える。
ピンチはチャンス、七尾は宝の山。