こみみかわら版バックナンバー

第197回 田鶴浜西下


在所の由来

江戸時代には下村だったんだ。明治十一年に郡制が施行され行政区画としての鹿島郡が発足した時は今の七尾市も全部鹿島郡なんだよ。そうなると徳田地区の下村と二つの下村が存在するので、明治十七年にこっちの下村を西下村と改称したんだ。

その後明治二十二年に伊久留村、七原村、吉田村、西下村瀬戸村、花見月村の六村が合併して相馬村西下となり、昭和二十九年の町村合併で田鶴浜町西下となって、平成十六年の合併で七尾市西下町となったんだね。

昔の在所

明治二十二年の西下の戸数は三十三軒で、人口は百七十五人と記録されているけど、昔から四十軒ほどの在所なんだ。

二宮川、伊久留川、吉田川が合流して耕作に恵まれ、一軒平均一町歩の田んぼがあって、大正二年に耕地整理組合が結成されているんだよ。

子供の頃は二宮川で小さい子に泳ぎを教えながらみんなで遊んどったね。山の中を走ったり縄跳び、缶蹴りなど子供を集めて、上の子が下の子を親代わりで面倒見ていたんだ。隣在所が七尾市の満仁で、そこの子供たちと西下の岩武(いわたけ)神社でソフトボール試合で張り合っていたよ。

どの家も山と田んぼがあるので長男は大学行かないで家を守って百姓をしろという風潮だったけど、勤めるより田んぼの方が良かった時代もあったんだね。嫁に出すのも田んぼのない所にはやれないなんて言っていたなぁ(笑)

小さな在所だけど山や田んぼで財力があったせいか自尊心が高い人も多くて大きな声に流されることはなく、様々な意見を時間をかけてまとめていたみたいだよ。

現在の在所

岩武神社の御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)で熱田神宮から勧請したもので由緒があるんだよ。昔は活気があって獅子舞や奉燈も出していたけど、七年前から参拝だけの祭りになってしまったんだ。この前神社の草刈りをやったけど集まったのは六人だよ。若い人が帰ってこないから高齢化が一挙に進んだ感じだね。

私は大阪の会社に勤め全国を回ったけど、退職し戻って改めて故郷は安らぎのある良い所だと実感しているんだ。なにより昔からの仲間が財産だね。そんな仲間と五年先、十年先を見据えて地元愛をどう育んでいくか話し合っているところだよ。

あきこの一言

里に流れる大きな川、
大きな家並み、趣きある在所