こみみかわら版バックナンバー

第201回 中能登町下後山


在所の由来

ここは旧鹿西町の中心地、能登部の在所に隣接しているんだ。その能登部の後の山だから後山と呼ばれたんだね。

元は後山一村だったようだけど、江戸時代中期に能登部下の枝村となって能登部下村後山分(わけ)と呼ばれ、その後、下後山村となったようだね。

能登部が能登部上と能登部下の在所に分かれているので、後山も上後山と下後山に分かれたんだね。

昔の在所

在所の島田さんの先祖が平家の落人でここを拓いたと伝わっているんだ。

島田さんの娘さんによると家の前の四枚の田んぼを四枚田(しまいだ)と呼んでいたから、苗字を名乗る時に島田としたらしいよ。その島田さんが後山の山持ちだったんだね。

林業が盛んな頃は氷見から木挽きを集めて住み込みさせて山仕事をしていたようだよ。在所の神明神社も元は島田家の守り神でね、そんな人がいたから小さな在所に真宗の西照寺が建立されたんだよ。

後山はころ柿の里として有名だけど、かつては在所中でころ柿を生産していたんだ。
元祖ころ柿の原木が西照寺の裏山にあってね、大きな柿の木だよ。近隣の在所からも接木にする枝を分けてもらうのに小豆や米をもってたくさんの人が来ていたそうだよ。ころ柿の品種は最勝柿、お寺が西照寺。なんか関係あるかもしれんね(笑)。

現在の在所

人口が五十年前の三分の一以下だよ。上棚矢駄インターも近くて交通の便も良く、暮らせば静かで良い所なんだけどね。

ここは星がとってもきれいに見えるんだ。特に冬の星座なんて本当に美しくてね、星が降りて来るようだよ。昔は金沢大学天文同好会が西照寺によく合宿に来ていたんだ。西照寺の山号は星洞山だから、昔から星の綺麗な土地なんだよ。

ころ柿の担い手が少なくなったけど伝承していきたいね。柿をとってきて、皮を手で剥いて、紐で縛って吊るして、手揉みでほぐすんだ。扇風機とストーブを使って除湿と換気をしながら乾燥させるけど揉めば揉むほど乾くね。二、三日おきに3回は揉むんだよ。出荷までに二十六日くらいかな。飴色の綺麗なころ柿に仕上がるんだ。

ころ柿のことを干柿とも言うけど、「星と干柿の里」として村おこし出来ないかなぁ(笑)。そのためにもまずは自分たちが故郷を愛して誇りを持っていかないとね。

あきこの一言

お寺の鐘を聴き、仰ぐ空。
お星さまがいっぱい、素敵な在所。