こみみかわら版バックナンバー

第203回 七尾市桜町


在所名の由来

昭和四十年に桜川河口右岸を埋立て出来た土地でね、それにちなんで桜町だそうだよ。

桜川の拡幅工事で立ち退きになった人の代替地としたり、七尾市が宅地として分譲してできた町なんだ。

昔の在所

子供の頃いかだを作って遊んでいた海が埋め立てられ、気がついたら家が建っていたよ(笑)。当時は人口増の時代で小島町など近隣の町内の人たちが宅地を求めたんだね。

埋立したばかりの時は地面がまだ軟弱で買った人が地盛りをしてから家を建てていたんだ。能登沖地震では電柱の根元が液状化していたよ。

昭和四十年に秋元さん世帯が第一号の住人となって、第二号は立山堂パンの若林さん、昭和四十四年には六十三世帯と一挙に家が建っていったんだ。海辺には造船所や鉄工所、製材所なども進出したんだね。

初代町会長は河元さんだったよ。神社はないけど昭和五十四年に奉燈を新調して西のおすずみで町内の結束を図ってきたんだ。子供もいっぱいいて五年生にならないと笛太鼓は出来ないと言っていたんだ。

町内のメイン道路で水入れリレーの練習をして御祓地区の運動会に参加していたけど、若い人が多かったので綱引きは強かったなぁ。今では六十歳以上の熟年玉入れも普通の玉入れもメンバーは同じなんだよ(笑)。近年は最下位かブービーだけど参加することに意義があるんだよ。

現在の在所

皆で積み立てをして平成十一年に二軒長屋を買って会館が出来たんだ。平成二十六年から月に一回、高齢者の寄り合い場として会館に集まり、お菓子やお弁当を食べて歌やゲームをしているよ。

二月の餅つき大会と六月に多根の山びこ壮へ日帰りで行くふれあいの集いで楽しんできたけど、今年は新行事として夏にサマーフェスティバルを計画したんだよ。

桜町青壮年会会則では年齢制限があって四十五歳までだけど、今は会長が一番若くて五十歳、六十代、七十代の会員二十四名が気持ちだけは青壮年で頑張っているんだ(笑)。

恵寿総合病院があるので災害訓練のトリアージに参加して防災意識を高めているけど、高齢化が益々進むので自助、共助で支え合っていかなければと思っているんだよ。

あきこの一言

新しい町も はや半世紀
触れ合いを大事にする在所