こみみかわら版バックナンバー

第206回 東三階


在所名の由来

元々の三階村が江戸時代に二宮川を挟んで東が前田領、西が長領となったんだ。その後明治期に三階村が東三階、西三階に分村したんだね。三階村の由来まではよくわからないけどね。

昔の在所

室町時代、東三階を中心に開墾が始まっていったんだ。そんな歴史のなかで近年までずっと農業を中心に営んできた農村だよ。大正時代には在所出身の郡会議員が中心となって一反、三百坪の耕地整理をいち早く行っているんだ。

農閑期の夜は近所のお母さんが三人、四人集まって囲炉裏を囲んで筵(むしろ)を作る縄を編んでいたよ。子供は学校から帰ったら縄にする藁(わら)を叩いてほぐすのが仕事でね、勉強しろと言われたことが一回も無かったよ(笑)。

どこの家も五人、六人と子供がいて、私の実家も遊び場になっていて缶蹴りやメンコで遊んだよ。田んぼでソフトボールしたり、祭りになると野師(やし)が家の前で店を広げ小遣いをもらった子供たちが集まって本当に楽しかったなぁ。

部屋に畳でなく「こもしろ」を敷いていたような生活が昭和三十年を過ぎて「あんか」も「おじ」も金の卵と言われて都会へ出ていくようになって時代が変わったようだね。

現在の在所

昔は春と秋の祭りには神輿と獅子舞が在所を廻りどこの家も親戚を呼んで十人、二十人と集まっていたけど、今は空家と一人暮らしか二人ボッチの家が多く、秋の祭りに集会所の前に神輿を出すだけになったよ。

東三階の神社は標高六十八mの険しい山の上に建立されて江戸時代までは五社大権現と呼ばれ石動山の伊須流岐比古神社と同じ虚空蔵(こくぞう)菩薩・十一面観世音・将軍地蔵・俱利伽羅不動尊・聖観音を祭っていたんだ。明治の神仏分離、廃仏毀釈で佛様を祭られなくなったけど、その山一帯を虚空蔵菩薩の漢字を変えて国造(こくぞう)山と呼んでいるんだ。

宮は伊弉諾(いざなぎ)神社として麓に移転しているけど八月二十日の国造山祭はしっかりやっているよ。

大正時代に整備した田んぼを新たに広くする圃場整備事業が来年から始まる予定だけど、町会と生産組合、アグリ東三階が協力して取り組んでいくよ。

アグリ東三階はため池や土手の草刈りなど年に三回は行っているけど沢山の人が草刈機持参で和気あいあいと作業するんだ。作業を通じ強い絆で在所を守っていかないとね。

あきこの一言

垣間見る日本の原風景
田舎暮らしを楽しむ在所