こみみかわら版バックナンバー

第209回 中島町菅原町会


在所名の由来

今年の四月一日に中島の要貝と大町が合併して誕生した新しい町なんだよ。

高齢化が進む中、何かと町会運営も難しくなってきていたので、前々から合併の話はあってね。まず壮年団が一本化して、今年になってようやく実現したよ。

既存の町会が合併するのは合併後の七尾市では初めてなんだ。双方の神社が同じ菅原神社なので祭りは一緒にやっているし、お互いの住人もみな親しい間柄だから違和感はまったくないね。町名はもちろん神社の名前からだよ。

昔の在所

昔は演劇堂の前の道路が川で、その川と熊木川に挟まれた場所だったので中島という地名が付いたんだ。中島の垣内の在所で代本・向出が白山組、中町・新町が愛宕組、要貝・大町が菅原組、山岸・岩崎・岡が熊野組としてそれぞれの神社で組を作っていたんだ。

要貝の名前の由来は貝田城(熊木城の別名)を守備する出先の要害の地だったからだと聞いているんだけどね。商工会の場所は加賀藩の年貢を保存するお蔵があったんだ。在所の屋号で「もんすけ」「ばんじゃ」があるけどお蔵を守っていた家系だと思われるよ。

中島は熊木川のおかげで商店街として発展したんだ。七尾や奥能登を結ぶ天神丸という船が航行していてね、熊木川を上がって天神橋に着いて、そこがバスの始発場で富来や穴水に向かっていたんだ。

輪島の海女さんも船で来て、要貝を前線基地にして宿に干物など商品をドサッと置いてかごを担いで行商に出かけていたよ。私の祖父が天神丸の船頭で家も海女さんの宿にもなっていたんだ。

記録によると中島地区は江戸時代から賑やかで明治期に電話が、大正元年自家発電で電灯がついて、大正三年に全国で三番目に上水道が敷設されているんだ。
各地から人が集まり歓楽街もあって全盛期には芸者さんが四十八人いたと先輩が言っていたよ(笑)。

現在の在所

高齢化社会にどう向き合うか…。新しい町会なので今まで以上に絆を深めたいと思ってね、ネットを使って色んな情報がすぐに伝達できるように取り組んでいるところなんだよ。

これから独居老人も増えていくと思うので町会長、民生委員、親族も含めて効果的な協力体制を作っていかないとね。

それと若い人が結婚を機に七尾や中能登町へ出て行くので何とか地元に留まって欲しいところなんですよ。

あきこの一言

進出果敢な気質が今に伝わる在所