こみみかわら版バックナンバー

第210回 田鶴浜新屋


在所名の由来

二宮川が運んできた土砂が堆積し出来た荒地を新しく拓いたことに由来すると聞いているよ。昔は荒屋とも書くことがあったようだね。

そんな場所だから江戸時代、明治時代と大氾濫に見舞われ大きな被害を受けたらしいんだ。昭和二十四年頃の河川改修で川幅が二十五メートルも広げられ、今は穏やかな川になっているよ。

昔の在所

移住してきたから昔の話はわかんけど、先輩方から聞いた話だと昭和十九年頃はまだ茅と藁ぶき屋根の農家が大半で、戦時中の主食はさつまいもや麦飯などだったそうだよ。

ここは隣在所の川尻にある荒石比古神社の氏子で祭りは川尻と一緒に行うし、生産組合や公民館活動は垣吉の在所と一緒なんだ。新屋では地蔵祭りが伝統行事で毎年八月十九日に近い土曜日に東嶺寺の住職に来て頂いてお参りと説法をしてもらい、終わればアイスを食べるのが恒例でね、子供たちはアイス目当てに集まるんだよ(笑)。

昔から新屋と垣吉が一緒に若衆報恩講をやっている縁で若い衆が新垣友和会を結成して、地域を盛り上げようといろんな行事をやってきたんだ。中でも盛大にやったのが夏の「二宮川フェスティバル」でね、新垣を自分たちで良くしようと頑張ったんだよ。手作りのイカダレース、釣り大会、しょうろう流しなどやって、春には二の宮川上空に百本のこいのぼりを泳がしたり、盆踊りには稲垣音頭を披露してたこともあったんだ。

現在の在所

つくづく友和の精神が育まれている在所だと感じるよ。

平成三年の石川国体で成年女子バスケット静岡県選手団を民泊で受け入れたけど三十年経った今でも交流が続いているんだ。コロナ禍前に再会したけどみんないいお母さんになっていたよ(笑)。初戦の相手が石川チームだったけどみんなで静岡チームを応援したんだよ。

こじんまりした在所でどんな課題もすぐ解決するんだ。全世帯がみなさんのお世話をしようじゃないかと町会長七十歳定年制を設けたんだ。町会長を辞めたら次は副町会長になって新しい町会長をサポートし、監査役をやった人が次の町会長になるんだよ。

私も旅から来て仲良くしてもらったけど、友和の精神を次世代に繋いで、在所を守り支える仕組みを大事していきたいね。 みんな仲よーしてやっていければいいんや!そんだけやろー(笑)。

あきこの一言

カワセミが飛ぶ二宮川
みんなで語り合う友和の在所