第215回 七尾市 銀座
町名の由来
全国に何々銀座という商店街がたくさんあるけど賑やかな商店街になるよう東京の銀座にあやかって名付けたんだと思うよ。
ここにお店が集まったのは昭和二十五年なんだ。戦後復興の時代でね、関東大震災や戦火を受けて復興した東京の銀座のように七尾の街も復興して発展していくぞと、そんな気概で名付けたんじゃないかと思うね。
昔の在所
大手町の一部なんだけど銀座町として町内会があるんだよ。
生い立ちは戦後の闇市が原点なんだ。御祓川沿いに並んでいた闇市の十軒ほどがここへ移るときに声掛けしてお店を誘致したそうだよ。
当時は惣菜屋、雑貨屋、八百屋、魚屋に肉屋、小間物屋、駄菓子屋、呉服屋、食べ物屋などが並んでいたんだ。駅前という立地と、青果市場も魚市場も街の中にあった時代だから本当に人通りが多くとても賑わった通りだったんだ。
買物は銀座で何でも揃ったし、中華、ステーキ、鮨、割烹、居酒屋もあってね、銀座で昼食べて、夜また銀座で飲んでみたい人も沢山いたよ(笑)。
昭和三十年代は住民もみんな若いし町内会行事も力が入っていて、運動会や野球大会にはみんなで応援に出かけたし、海水浴にはバス一杯になって行っていたんだ。この頃はまだお昼の店が多く、越路屋さんにジャンボ宝くじが販売された時は銀座通りを一周する行列ができてビックリしたよ。
昭和四十八年頃にビルに建て替えてね、一階が店舗で二階が住居になったんだ。この頃からスナックなどが増えてね、銀座で一番多い時で五十軒以上のお店があったんだよ。
そんな時代に七尾では十番街と銀座が夜の街として賑わって行くんだね。
現在の在所
車社会になって人の流れが変わったけど、それでもまだ二十五軒のお店があるからね。
今までもオイル、繊維、バブル、コロナと不況はあったけど、こんな場所は無くしちゃいけないんだよ。パチンコに勝ったと飲み、負けたと言って飲む。酔っぱらいの喧嘩の仲裁もあったし、スナックのお客が鮨、ウナギ、焼き鳥、ラーメンを食べたいといえばママが近所の店に注文する。
ごちゃごちゃした昭和ノスタルジーの街としてこの雰囲気は残していきたいね。空き店舗も十五軒あるから盛り上げてくれる人大歓迎ですよ。
近年は若い人や観光客も訪れているし、これからも老若男女楽しめる町にしたいね。
あきこの一言
苦楽ある人生、銀座はオアシス。