第216回 七尾市 古屋敷
町名の由来
室町時代に能登の守護になった畠山満慶から何代もの城主が築いてきた七尾城の麓で家臣団の館や政務を執った役所のあった城下屋敷に由来すると伝えられているようだよ。
昔の在所
上杉謙信に攻められて天正五年に七尾城が落城した後、前田利家が天正十一年から小丸山築城に着手し城下町が海辺に変わったので古屋敷が荒廃していくんだ。江戸時代の初めに田んぼや畑が開墾され農家が立ち並んで「元七尾」と言われたらしいよ。
ディサービスの「あっとほーむ」を建設する時に埋蔵文化財の発掘をしたら焼きおにぎりや火起こし道具、井戸、兜など昔を偲ぶものがたくさん出てきたんだ。在所の外れには処刑場だった場所もあるんだ。能越自動車道が横を走っているけどお祓いをしてから工事を始めたよ。
国の登録有形文化財で旧飯田家の懐古館と昭和三十八年建設の七尾城史資料館が並んでいるけど、当初資料館の建設予定地が小丸山公園だというので飯田さんが土地を提供して地元に建ててもらったんだ。今となれば大正解だったと思うね。戦後の昭和二十六年に老人ホーム「城山園」が開設したけど戦争で頼る身寄りがない高齢者が増えたことも影響したんだろうね。
現在の在所
昨年四月、城山園跡に七尾城登山口駐車場が整備され、本丸まで往復百五十分の大手道コースにたくさんの人が訪れているよ。ただ登城口が狭いので案内板があるけど分かりにくいのか道を間違える人が多くてね。在所の人がたびたび案内してるから何とかしないとなぁ。
コロナ禍で中断していた伝統行事の仏慈講も四年ぶりに行うよ。在所の法要でお寺さんに来て頂き懐古館でお参りをしてから、資料館横のお地蔵様にもお参りするんだ。このお地蔵様は田んぼに埋まっていたのをここに安置したんだよ。最初は城山園のお年寄りでお世話をして頂いたけど、今は隣の飯田悦子さんにお願いしているんだ。飯田さんがお水をかえたり、お花を添えたり、手作りの帽子、えりまきなどを揃えて一生懸命にお世話しているから、在所も守られているのだと思うよ。これからは共助を大切に新しい街づくりをしていきたいね。
ディサービスセンターとも一緒に三世代交流などで花いっぱいの在所にして、古屋敷のモットー「仲良く・明るく・新しく」を実践していきたいですね。
あきこの一言
近くに城山と教育施設、七尾の歴史と文教の在所。