こみみかわら版バックナンバー

第217回 中能登町 西馬場


在所名の由来

古文書に能登国鹿島郡馬庭(ばんば)村と書いてあってね、能登の国造りをしていた役人の馬駆け場があったことに由来すると言われているよ。
馬庭が馬場になり、その後、東と西に分かれたんだ。漢字は「にしばば」だけど昔から「にしばんば」っていっているよ。

雨の宮古墳群

「雨の宮古墳群」のある雷ヶ峰は山にもかかわらず宅地の字である西馬場モ部の地番がふられ、宅地同様に大事にされているんだ。

大小三十六基の古墳のなかでも一号墳は六十四メートルの前方後方墳、二号墳は六十五メートルの前方後円墳で、能登最初の国王かこの地域を支配した首長の墓だと考えられているんだよ。

平成四年からの発掘調査と復元整備で県内外から観光客が訪れているよ。

以前は山の天辺に土俵があって相撲大会が行われていたんだけど、そこが一号墳だったもんだから復元と同時に土俵がなくなったんだ。

一号墳に鎮座していた天日陰比咩(あめひかげひめ)神社は総雨乞いの宮であったことから「雨の宮」とも呼ばれたんだ。
古墳の上に建物が建てられないとの指導で本殿は一号墳の裾に、拝殿は二号墳の裾に遷宮されたよ。

大正十三年八月二十日より始まった雨乞いは、一号墳と二号墳の上に旗を立て太鼓を打って、二十数名が断食を三日三晩続けて、四日目の昼過ぎに念願の雨が雷鳴と共に降り注いだと伝わっているよ。心願成就に曳山を引出し在所挙げて喜んだんだ。

在所の今昔

辻には地蔵や神様が何カ所も安置され年に十数回の祭事があるんだ。
能登部神社の男神が西馬場の愛宕神社の女神を夜な夜な迎えにきて連れ出し一夜の逢瀬を楽しむ「ばっこ祭り」は町無形民俗文化財に指定された奇祭なんだ。

本土寺は小丸山公園に建っている日像上人が西暦千三百年に建立した古刹でね。
日像が石動山に登り法義を説いたら迫害されて西馬場へ逃げてきたんだ。
その時に加賀太郎と北太郎の兄弟が日像をかくまい石動山衆徒と戦って討死したのでその七回忌に建てられたんだ。

昭和四十年頃までは農業を中心に「エエ」(結)といって労働力の相互扶助での共同社会だったが今は専業農家が数軒になってしまったよ。
鹿西の端っこの在所が合併で真ん中になって中学校や新興住宅地「ゆりが丘」とアパートが建ち若い世代が増えたので頼もしいよ。

コロナ禍で祭事や行事が縮小されていたけど、復活させ新しい人と共に西馬場の伝統を守り続けていかねばと思っているんだ。

あきこの一言

神仏に囲まれ歴史がいっぱい。眉丈の麓から風薫る良き在所。