こみみかわら版バックナンバー

第74回 七尾市田鶴浜垣吉町

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在所名の由来

歴史の古い在所なんだけど、確かな由来はわからないんだよ。垣吉から新屋、川尻、舟尾、奥原、和倉までを端村と言った時代があってね、田鶴浜村との境が垣吉なんだよ。お隣との境には垣根を立てたりするし、集落を細かく分けた一区画を垣内(かくち)と呼ぶそうだが、なんかその辺りに語源があるのかもしれんね。

昔と今

ここは二宮川の下流域なので昔から川を中心に拓けた土地でね、この辺り一体が古墳群なんだよ。田んぼを耕すと土器の茶碗などよく出てくるし、サンビームの上が古墳公園になっているよ。

子どもの頃は肥しを担いで畑仕事を手伝ったり、在所の真ん中を流れる二宮川で泳いで遊んでいたよ。そこへ、自転車に乗ってチリィン、チリィンとアイスキャンディー売りが来ていたね。普段はおとなしい川だけど大雨になると暴れ川になるんだよ。昨年も一昨年も避難勧告が出てサンビームへ避難したよ。そんな川だけど在所の大事な川でね、クリーン運動や道路愛護デーなどを設けて草刈りや空缶拾い、土嚢を詰めたり、コスモスを植えたり、今年は桜の苗を植える計画でいるんだよ。

在所の自慢

ここは隣の高田町と一緒に祭りをするし、公民館も隣の新屋町と共同運営なんだよ。小さい在所を運営する先人の知恵だと思うよ。三十年前は十八軒の在所だったんだが、学校、駅、スーパーが近く交通の便も良い事から宅地開発が進み若い世代が住んでくれてね、この世代が呼びかけるとすぐ集まってくれて、祭りや行事をどうする、どうすると積極的に参加してくれるんだよ。

おかげで団結力のある在所になったし、安心して次の世代へ繋げられるよ。ありがたいね。

あさみのひとこと

在所を歩くと福浦婦人会売店の看板が、3人のお母さんと雑貨と食料品、郷愁を感じるお店でした。