こみみかわら版バックナンバー

第57回 七尾市大津町

239七尾市大津町(田鶴浜)

在所の由来

大きい津、まさに地形のとおりやね。津とは船舶が停泊し、人が集まる所という意味があるよ。 ここは七尾西湾が深く入り込んだ大きな入り江だったんだよ。 昔から交通の要衝でね、七尾や奥能登からの物資は、夏は海路、冬は陸路で大津に集まって、そこから志賀、富来方面に運んだり、福浦港まで運んで北前船に載せたりしたんだよ。

昔と今

千数百年前、山裾に家が7軒あったと伝わっているよ。 文献によると戦国時代に34軒、  江戸時代後期には120軒になっているね。  長い年月をかけて入り江を埋めていき、田んぼが広がり、道が出来、線路が通り、大津潟が出来たんだね。 集落の3分の1は埋立地だよ。 戦前は飲み屋や遊郭もあり造り酒屋も2軒あったというから、結構にぎやかな在所だったと想像するよ。 船が集まり、田畑も増える中で、近郷から人が移住して現在の原型が出来たんだね。 大津では町内を東西南北中と五つに分けて、それぞれに町内会長がいるんだよ。 最近は少子高齢化で在所の運営も改善していかないと難しい時代でね、各町内会長と時代に合わせた足元の見直し中でね。 検討委員会を立ち上げて賦課金の算出方法を見直したり、祭りの当番制の改善や自主防災組織の連絡網整備など進めているよ。

在所の取組

公民館活動がすごく盛んな在所でね、人材は多彩だよ。 そういう人たちの力も借りて、弘法の水や大津潟の天然うなぎ、赤土米の天日干、加賀藩領地だった御林山(おはいやま)の整備など、在所に昔からある自然や歴史を活用して、交流人口の仕掛けができないものかと思案中だよ。 出来るところから、コツコツ進めて行きたいね。 在所が一丸となって取組んで、昔のような賑わいある大津にしないとね。