こみみかわら版バックナンバー

第54回 中能登町能登部下

236中能登町能登部下在所の由来

近郷で部とつく在所を見ると、鹿西の能登部、鹿島の武部、羽咋の若部と中能登を横断する形で並んでいるんだよ。部とは職業や住居地などで同じ目的のための集団を意味してね、大和朝廷時代に国の統治のため作られたと辞典に書いてあるよ。歴史的・地政的に考えれば大和朝廷の防衛拠点だったかもしれんね。能登部はいつの時代かしらんけど、上と下に分かれたようだよ。上区の能登部神社で男の神様を、下区は能登比咩神社で女の神様を祭っているんだよ。男の神様を上に、こちらは下になたと聞いとるよ。

昔と今

200年も前から織物の村として発展してきてね、能登上布発祥の地だよ。昭和の初めには能登上布の機場が100軒以上もあったらしいよ。子供の頃は通りに店もいっぱいあって、織機の音と人通りではんと賑やかだったけど、今は静かになってしまったね。機場も5軒程だよ。町では伝統を守るため能登上布会館を建てで当時の織り方を継承しているんだよ。

在所の自慢

祭りだね。神輿と獅子舞で春と秋に行うよ。その時、神社の境内で火渡りするんだよ。春祭りには、3、4歳の男の子が二人して「乙女の舞」を踊るんだよ。それと小学校5年生で長男という条件で選ばれた子が「三番叟」を舞うんだよ。長い歴史の中で栄枯衰勢はあるけど、神社を大事にして祭りという心棒で在所がまとまってきたと思うとるよ。