こみみかわら版バックナンバー

第40回 七尾市赤浦町

222七尾市赤浦町

町の歴史

赤浦には縄文時代から人が住んでいたとされてるよ。赤浦潟がもたらす豊穣な土地と魚類を中心とした食材は生活の場として最適やったんやね。古墳時代には古代製塩の一大拠点とされていて、遺跡も多く残っとるよ。

町の昔

この地域に欠かせない赤裏潟は、昔海とつながっていて、海水と淡水の入り混じった汽水湖で、いろんな魚が取れたね。昭和30年頃に水門が出来て淡水湖化されて、昭和50年頃には完全に淡水湖になって、周辺の農業用水に使用されているよ。私の母が小学生の頃は、学校の帰りに潟の向こう側から家人を呼んで船で渡して貰っとったよ。家人が居らん時はぐるーっと回って帰らなイカンかったらしいよ。船がまだ交通の主流やったんやね。当時の祭りで「海上渡御」ってのがあってね。赤浦潟に船を出すんよ。新しい船2艙を組んで1つにして、神輿を乗せた神輿船と、お囃子の太鼓・鐘・笛の囃子船が赤浦潟を廻る。真紅の織旗がはためいて艶やかでね。大正末期には、七尾和倉間の汽車が、途中一時停止して見物するほどやったと聞いとるよ。

赤浦の現在

世帯数は68世帯で、人口は260人ほど。小学生は5人ほどおるね。昔からある町やけども、空き家はなくてね。程よい距離感で隣近所の連携がとれとる町やよ。家事のない町!というのが自慢やね。だからといって油断したらいかんと思っとるよ。赤浦潟があるけども、消防車がすべての場所から水が取れるわけじゃないからね。防災訓練なんかもしっかりと取り組まんとね。今後は中断されとる「海上渡御」を是非復活させたいと思っとる。赤浦潟を中心とした町づくりやね。四季折々に移り変わる赤浦潟の景色は本当に綺麗や。「赤浦は七尾のまほろば」やよ!(笑)