第65回 私の仕事は「畳職人」です。
必然は偶然にあらず
私の仕事は「畳の床屋」です
奥島 時一(おくしまときかず)さん(77歳)
仕事歴 45年
畳床の仕事とは
畳は、藁(わら)と菰(こも)で畳床という土台を作り、
い草で出来た畳表(たたみおもて)と言うゴザを貼り、
布で畳の縁を縫い合わせて出来ています。
私は、畳床を専門に作っていますので、畳の床屋です。
平成の大修復
西本願寺では、平成十一年から十年間かけて御影堂の大修復がおこなわれました。
御影堂とは親鸞聖人のご影像を安置したお堂で、三八〇年前に再建された国宝の建造物です。
この大修復には、漆、金箔、漆喰、彩色、宮大工など日本の伝統技術の職人が集められました。
畳も七百枚以上あり、すべて三百年以上前に作られた畳床で、今回の修復は二百年ぶり
とのことでした。畳床そのものが文化財し指定されており、
その修復に関われたことは畳床専門の職人として思い出深い仕事になりました。
時代に翻弄され
私は二十代で藁縄(わらなわ)を編む仕事を始めたんです。
それで生活をしていたのですが、ビニールロープが出てきて藁縄が売れなくなりました。
このままでは生活が出来ないと心配で夜も眠れない程でした。
どうにかしなければと考え続けていたら、同じ藁を扱う仕事で畳床があると閃きました。
これならビニールにとって代わられることはないだろうと思い、珠洲の畳屋へ修業に入りました。
当時はどの家も畳の生活でしたので、町には多くの畳屋がありました。
そこで私は「畳床」専門の畳屋になろうと思ったんです。畳床は菰に藁を
何層にも挟んで縫い合わせていきます。
良質の藁はこの辺でも多くあったんですが、コンバインで稲刈りをするようになると
稲藁が刻まれ使えなくなりました。またしても時代の波に翻弄されます。
今は新潟や長野のコンバインが入らない、山奥の田んぼから藁を仕入れています。
藁不足の影響もあって最近は藁の替わりに発泡体を使った畳床も多くなりました。
白羽の矢
西本願寺御用達の京都の櫻田商店が、この畳床を修復できる工場を全国中探し
ご縁があって私にも声がかかりました。
普通の畳より厚く、枚数もあり、文化財で気も使うし、
普通の機械ではやりにくい、実際面倒な仕事です。
私が使っている機械ならなんとか対応できるのではと思いました。
この機械は二十年前に投資しましたがコンピュータで自動制御する当時から
今に至っても最新の機械です。
畳床を作るのには操作が難しく全国で数台しか売れず販売中止となり、
稼動しているのは東北に一台、ここ能登島に一台です。
ビニールロープとコンバインの出現で苦戦を強いられましたが、最新の機械を導入し、
難しい操作を諦めずに挑戦していたおかげで大仕事が出来ました。
世の中は常ならず、変化の連続です。
安心と安定を求め四苦八苦するのですが、
人生は思うようにならない事の方が多いものです。
それでも、一所懸命に頑張っていると、報われることもあるのではないでしょうか。
畳床の職人として誇りに思える仕事をさせて頂き本当に有難く思います。
能登島南 奥島製畳 ☎0767‐85‐2211
2016年取材