こみみかわら版バックナンバー

第66回私の仕事は「ちょうちんや」です


スッと抜け、神に添う明かり

私の仕事は「ちょうちんや」です
亀井 斉(かめいひとし)さん 71歳
仕事歴60年

提灯屋の仕事とは

私は、主に能登の祭りなど神仏に使われる提灯を作っています。
素材は各産地の職人さんにお願いして取り寄せ、木型に、竹ヒゴを巻き、
和紙を張り、絵付けをして、油を塗って仕上げます。

危機を救った門前の小僧

私には毎年、胃が痛くなる時期があります。
それは夏から秋にかけてのお祭りシーズンです。
この時期に修繕や新調の注文が重なりますが、伝統の提灯をすべて手作りで製作しますので、
時間が無くお祭りに間に合わせるため気を使うのです。

5年前、一番忙しい時期にその心労から胃痛で入院しました。
その時は私以上に家族が真っ青になったようです。
両親、家内、息子夫婦に小学生の孫まで家族総動員で毎日夜遅くまで頑張ってくれ、
なんとか迷惑をかけずに済みました。
会社勤めの息子が帰宅後、祖父母から助言指導を受けながら先頭に立ってくれたのです。
自宅が工房で生活の中に提灯作りしているため門前の小僧だったのでしょうね。
その時以外はあんまり手伝ってはくれませんが(笑)

伝統を繋ぐ使命感

私で三代目です。
明治に祖父が金沢で修業の後創業します。

戦争で両親は満州へ、私はそこで昭和20年3月に生まれます。
父が3年間のシベリア抑留となり、母が乳飲み子の私を抱え苦労の末、なんとか帰国しました。
その母が祖父から提灯の手ほどきを受けました。
父が帰国できた時にはすでに祖父が亡くなっており、母が父に提灯作りを繋いだのです。
私も門前の小僧よろしく、小学校から父の手伝いを始め、

会社勤めの傍ら毎日夜は提灯を作っていましたが、提灯一筋に打ち込んだのは20年前です。
提灯は加賀提灯のような「なで肩で寸胴」の女形が一般的です。

初代の祖父は能登の地で「肩が張った下すぼみ」提灯を創作しました。
これは祭りの道中を照らす高張りや玄関の軒に掲げた時、
家紋や文字が下からはっきりと見えるようにと工夫したのです。
また竹ヒゴで提灯の骨組みをしますが、この竹ヒゴを長い一本に繋いでらせん状に巻いた
骨組みも初代が考案しました。技術は難しくなりますが作業効率が良くなります。

現在、提灯屋は能登で私一人になりました。
街灯や懐中電灯が普及し提灯が日常必需品ではなくなったのです。
今を生きる提灯屋として、初代が築き上げた能登提灯、
亀井オリジナルを繋ぐことが私の使命だと思っています。



能登提灯の明かり

お客様は氷見市、かほく市から能登半島全域ですが、ある傾向が見られます。
海に面した在所の方々ほど提灯にかける眼差しが熱く真剣なのです。

これは大自然と対峙して命がけの仕事を生業とする土地柄のせいでしょうか。
目に見えぬ神仏に向き合う精神性の高さの表れかもしれません。
そんな男たちへ贈る能登提灯は風雪に耐える男形の強い提灯であり、

そこからスッと抜け出る光は神に寄り添い、在所の人々の足元にも放たれる
入魂の提灯でなければなりません。

私はそんな想いを形にするため、家族が寝静まった夜から仕事を始めます。
精神を統一し、厳選した素材に祈りを込め、静かに提灯と対座するのです。



中能登町高畠 亀井提灯店  ☎0767‐77‐1900
2016年取材