第67回私の仕事は「お茶屋」です
お茶を通じて街づくり
私の仕事は「お茶屋」です
北林 昌之(きたばやしまさ ゆき)さん(76歳)
仕事歴 50年
お茶屋の仕事とは
私の場合は、
選んだお茶を問屋に缶詰にしてもらい、小売をしています。
石臼挽き体験
平成十六年、
第一回花嫁のれん展が成功し一本杉が注目をされます。
取材に来たテレビ金沢の若い女性アナウンサーが店飾りとして
置いてある石臼を見てこれでお茶挽き体験をしたらどうかと勧めてくれました。
私は島根県奥出雲の出身で、
標高350m、中国山脈の山中で育ちました。
小さい頃から田畑や家畜の世話をし、
団子を作るのに米を石臼で挽く手伝いをしていました。
友達が遊びに来ても石が重くて挽き終わらず遊びにいけません。
そんな「いやな思い出」が石臼だったのですが、
若い人の言う事を素直に聞く事が必要だと直感したのです。
おかげで今では
観光客や小、中学生の体験学習など
多くの人に石臼で抹茶を挽いてもらっています。
お茶屋を継いで
婿養子として北島屋のお店を継ぎました。
お茶の事は素人でしたが実家ではお茶も栽培しており、
朝飯前にお茶を摘み、
せいろで蒸して、
縁側の一畳程の炉に助炭をかぶせ蒸したお茶を揉むと
夕方には乾燥したお茶が出来上がっています。
新鮮なお茶を朝、昼、晩と飲む土地柄で育ったおかげで、
お茶に対しては舌が肥えていたのだと思います。
お茶屋は問屋から仕入れる際に、
拝見盆の上で葉の出来具合を見て、水色、香、味を見て品決めしますが、
私はまず味を見て善し悪しを即決します。
自分が飲んでこれだという本物を飲んで頂きたいのです。
昭和四十年頃までは一本杉も賑っていましたが、
ジャスコ、ユニーが出来てから人の流れが変わり、
何か手を打たなければとお茶を缶詰にした商品を開発します。
しかし外商で回ってもお茶の缶は要らないと断られます。
どの家にもお茶を入れる缶があり、
缶の分だけ高いと思われたのです。
それでもお茶の品質を話し、
缶、缶、缶と説明を続けていたので今ではお店の定番商品になっています(笑)
一本杉と共に
花嫁のれん展の継続で視察団が訪れるようになり、
町会長として案内をした時の事です。
仏壇屋で
職人さんの話を聞いていたとき時間が来てもなかなか帰ろうとしません。
そのときハッとしました。
自分の町のことを自分が語られるのかと。
それで「語り部処」を立ち上げ、
質問されて解らない事はわからないと答え、
次には答えられるように勉強しようと仲間を募りました。
語り部処の成果はすぐ確信できました。
それは一本杉通りを石畳にするのに
平成十六年から5年間かかりましが、その間ずーっと工事中です。
しかし観光客は一人も文句を言わないのです。
「語り」に満足すれば道路はどうでも良いのです。
今では観光客が一本杉に年間に2万人も来るようになりました。
石臼を挽いて飲むお抹茶、
その御菓子に七尾名物の大豆飴、
それに挽いたお抹茶を振りかけて召し上がって頂くと大変喜ばれます。
それがきっかけで「ふりふり」というオリジナル商品に繋がりました。
何事も自分の損得より、まず全体の事を思うことが、
結果として自分自身も救われるのではないでしょうか。
これからはそんな時代だと思います。
一本杉町 北島屋茶店 ☎0767‐53‐0003