こみみかわら版バックナンバー

第69回私の仕事は「漢方製薬業」です

だら正直の見本と言われ



私の仕事は「漢方製薬業」です
佐竹 修(さたけおさむ)さん 82歳
仕事歴60年

漢方製薬の仕事とは

私の場合は、佐竹家伝来の処方で十種類の漢方生薬とスッポンの粉末を調合して、

虚弱体質、冷え性、疲労回復など滋養強壮薬の登録商標「がめ煉薬」の製造販売をしています。

がめ煉薬

佐竹家には
どういうわけか漢方の処方が伝わっていたんです。
父はそれを活かせないかと考えたそうです。

当時羽咋の千路に住んでおり、
近くの邑知潟にスッポンが獲れることから
ピンと来て製品化しました。

強力飴(きょうりきあめ)として売出し、
途中から神授圓(しんじゅえん)と名前を替えています。

販路は邑知潟で獲れた魚を行商する
「カゴ担ぎ」のおばさんたちが70人もいて売ってくれたんです。

子供の頃「がめの飴くだい」と来る行商のカゴに
2個、3個と入れる手伝いをしていました。
商品名ではなく「がめの飴」が通称になっていました。

戦時中、
神授圓という名前は神という字を使っているということで、
県の役人が来て名前を変えるよう指導が入り、それで「がめ煉薬」となりました。
がめとはスッポンのことです。

七尾に出る

戦後、
事業拡大を志した父が、能登の中心地七尾に移転します。

田んぼ一枚買って、自宅と工場を建てます。
長男の私に跡を継がせるため薬科大学を勧め、
私も素直に従いました

卒業してすぐに家業を手伝いますが、
父はよく職商人と言って、製造の職人半分、販売の外交半分
どちらも大事だと教えてくれました。

それで近郷はもとより穴水、門前、宇出津方面へ個別訪問しました。
郷が広いということは、やりがいがあり面白かったです。

チラシを作り、
一軒一軒飛込みで回ります。

もちろんすぐ売れるわけではありませんが、
いろんな人と出会い、話しを聞かせてもらうことで
多くを学ぶことが出来ました。

それが楽しみでもあり、
何回も足を運ぶうちに、「だら正直の見本みたい人なら嘘はないやろ」
と、少しずつ商品を信用して頂けるようになりました。

今でも自分で看板やチラシを作り近郷を回ることが楽しみです。




がめ煉薬と歩む人生

すべて手作業です。

生薬を計量し、大釜に火を入れ、調合した水飴の中に生薬を処方していきます

放冷させ、一晩寝かせ、また火を入れ、次の生薬を入れ、
と3日間大釜の前に立ち大きなしゃもじを廻します。

出来上がったサンプルを
金沢の検査センターに送り合格してから缶に詰め
包装まで完成するのに10日間、1回の釜で200個の製品が出来ます。

力仕事で1回釜を炊くと3キロ痩せます。

一番難しいのは
同質を保つことです。お客様は味や固さちょっと違いを気付きます。

常温で飲みますが固いのと、やわらかいのと二種類あり、
お客様の好みや季節に合わせて飲んで頂きます。

薬事法が改正され
大手製薬会社と変わらない条件で何かと大変です。

息子がそろそろ引退したらと言いますが、
お客様から、「子供があんたの薬飲んであんな元気になったよ」
「これ飲んで元気になった、やめんと続けとって」
こんなお声が、お金に換えられない喜びなんです。

夫婦二人三脚でここまでやって来ましたが、
「人のために働けることを何よりも感謝しなければ」
といつも二人で話し合っています。



七尾市南藤橋町 ㈲能登製薬所  ☎0767‐52‐1548
2016年取材