こみみかわら版バックナンバー

第72回私の仕事は「彫刻師」です

師の半学に足らず



私の仕事は、「彫刻師」です
米村 正勝(よねむらまさかつ)さん 74歳
仕事歴 55年 木彫伝統工芸士

彫刻師の仕事とは

私の場合は、七尾仏壇の彫刻を中心に神社仏閣での曳山、キリコ、獅子頭、
天狗、仏像、欄間などを手がけています。

父に師事

「弟子賢しと言えども師の半学に足らず」父がよく口にした言葉です。
父も彫刻師でした。私は父に師事し技能を習得しますが、

この言葉は私が一人前の仕事が出来るようになっても聞かされました。
当時は腕前が上がっても自惚れることなく精進せよとの戒めだと何気に聞いていました。

今にして思えばそれは技能の事だけではなく、職業として彫刻に携われることから始まり、
生業としての七尾仏壇という環境があり、ご贔屓のお客様がすでにいる。
これらのことは自分一人の力で成り立っているのではないのだから、全ての事に感謝を忘れず、
謙虚であれとの教えだったと思えました。




一意専心

私は子供の頃から彫刻に興味を持ち、父のノミを触っては怒られていました。
七尾高校時代に「米村蔵書」という角印を作りました。
これが私の最初の作品で、自分で考えた独自の字体です。

高校を卒業し母の強い勧めも有り国鉄に就職しましたが、夕方家へ帰えればノミを持って
夜遅くまで手伝いました。跡を継がせたい父の思いも感じ、

結局3ヶ月で国鉄を辞める事にしました。競争率70倍で就職した国鉄です。
助役は将来駅長になれるから辞めるなと引き止めてくれ、母も反対しましたが、
彫刻が好きだった私には迷いはありませんでした。

七尾仏壇

伝統工芸品となった七尾仏壇の起源は室町時代だと推察されています。
この時代は蓮如上人が能登に真宗を広めた時期であり、
護職として畠山氏が七尾に入り様々な文化や工芸が育っていく時代です。

七尾仏壇は木地、彫刻、漆塗り、蒔絵、金具、金箔押しの工程がありそれぞれに職人がいます。
中でも塗師職人が仏壇の製造を家業としてきた歴史があり、七尾の仏壇店は漆塗り専門で、
ここから各職人へ仕事が発注されます。仏壇彫刻では、荒彫り50丁、
上げ100丁のノミを使って雲、唐草、鶴、龍、天女、菊、波などを彫ります。
それぞれに基本の形がありますが、彫る技術以上に全体の構図を描く力が求められます。

その時、その時、一生懸命にやっているのですが、
10年経って見直すと気付くこともあります。



これから

昭和45年から平成15年くらいまでは彫刻の注文が殺到し、
いつもせかされて制作していました。今はそんな時代ではありませんが、
彫刻という技にも、作品の追求にも限界はありません。

七尾仏壇の伝統を守りながら、元気な間は一生彫刻の道に励んでいきたいと思います。
能登各地の神社仏閣の仕事も手がけてきましたが、
お寺や神社の大作は多くの人に拝んでもらい何百年も残っていく作品です。

こんなにやりがいのある仕事が出来る事に喜びを感じ、誇りに思います。

矢田新町 米村彫刻 ☎0767-52-3076
2016年取材