こみみかわら版バックナンバー

第74回 私の仕事は「ガラス作家」です

息を吹き込み魂を入れる



私の仕事は「ガラス作家」です
菊池 正博(きくちまさひろ)47歳
仕事歴 27年

ガラス作家の仕事とは

私の場合は、食器などの日用品の他、ガラス工芸品のデザインを描き、宙吹きという技法で息を吹き込み、完全手作りの作品を作ります。

東日本大震災

岩手県一関で工房を営んでいましたが、東日本大震災で取引先の廃業や復興の遅れなどで
経営危機に直面しました。

そんな時、能登島ガラス工房の創設者である由水常雄先生にお声をかけて頂き
能登島へ来ることになりました。

私は神奈川県出身です。
小さい頃から手先が器用で図工が得意でした。
進路を考えた時、得意なことを活かしたいと思い、当時日本で唯一のガラス専門学校、
東京ガラス工芸研究所へ進みました。
そこで2年間学び、北海道小樽の工房に弟子入りします。

親方は大変厳しく、よく怒られましたが、ガラスの光沢、繊細な輝きに強く引き込まれていきました。
小樽での3年間があったからこそ、今でもこの道を歩み続けているのだと思います。



ガラスの世界

コップからオブジェまで、ガラスは日用品にも、芸術品にも姿を変えます。
いったん竿に熱いガラスを巻き付けると、途中でやめることは出来ません。
思い描いたデザインを形にしていくため、息を吹き込み、大小様々な道具を使いながら
一心不乱に作業に集中していきます。

パーツを接続する作業は補助者の手を借りますが、
息が合わないと望んだものになりません。
理論を学び、経験を積んで、間合いと言うか、タイミングを見極める力を養います。

ガラス工芸はそんな勘所を共有するチームプレーでもあるのです。

色づけは金属を配合して酸化させます。銅はスカイブルーに、鉄は薄緑に、クロムは緑色になります。
色の濃淡は計算で出せるのですが、その酸化させたものを還元させる技法で
今度は計算できない不安定な色が出ます。
これを燿変と言い、自分の力の及ばない中、変化するガラスと作家の意志が融合して、
感じ入る色調や光沢が出たときには感動を覚えます。



能登島ガラス工房

32年前、廃校を利用して能登島ガラス工房が出来ましたが、
当時日本ではガラス工芸という概念がなく、ガラスは日用品であり
工場で大量生産をしていました。
日本で工場から工房という単位で製造が始まる先駆けとなったのがこの工房なのです。

隣に能登島ガラス美術館もあり自然環境にも恵まれているこの工房で、
作家として仕事が出来る事を大変有難く思っています。

ここではガラス職人養成の学校も併設して毎年全国から数名が入校してきます。
近年は大学にもガラス工芸の専攻科もあり、多くの若者がこの世界に入りますが
職業として残っていく人は1%くらいではないでしょうか。

ここではガラス体験も行い、直営ショップで販売もしていますが
アート、クラフト、日用品、区別することなくガラスの魅力を多くの人に知ってもらいたいと思います。

作家として思い描いたものが形になり、それがお客様に認められた時は嬉しく励みになります。
ガラスの世界も流行があり、新しい加工技術が開発されてきますので、
独りよがりにならず精進を続けなければと思います。



能登島向田町 (有) 能登島ガラス工房 ☎0767-84-1180