こみみかわら版バックナンバー

第87回 私の仕事は「瓦職人」です。

日本瓦、その良さを伝えたい



私の仕事は「瓦職人」です。
三和 淳(みわ あつし)39歳
仕事歴20年 瓦葺一級技能士


瓦職人の仕事とは


屋根瓦の専門家として新築の瓦葺きや修理のほかに、屋根全般の困りごとを今までの経験を活かし、最良の方法での解決策をアドバイスさせて頂いています。


生かされて活きる


天井が見え、不思議な感覚を覚えました。能登総合病院の集中治療室で「俺、死んでしまうのか?」最初に発した言葉でした。そばにいた母親が「大丈夫やよ」と言ってくれ安心したことを覚えています。屋根から転落し首の骨折で病院へ運ばれ一週間の意識不明から目覚めた時のことです。瓦メーカーに勤めていましたが、能登地震の復興で応援に入った時のことでした。私は両親の勧めもあり富山医療福祉専門学校へ進学し理学療法士を目指しましたが、どうしても馴染めず2年で中退し中島の実家へ戻りました。近所の瓦職人が遊んどるなら手伝えと3年間お世話になりました。夏は暑く冬は冷たい屋根の仕事ですが、自分が手がけたものが形に残る面白さを感じ、この道に進みたいと思うようになりました。


修業時代


色々な瓦屋根を施行し勉強したいと新築着工数が多い富山県、その中でも一番大きい篠原瓦工業へ就職しました。若い職人が多く教育指導がしっかりしており、神社仏閣、公共施設、洋風、店舗など活躍の場を与えてもらい資格も取得できました。富山と石川では瓦の葺き方も微妙に違います。建物の構造が違うからですが、富山は工務店が先進的に提案していくものにお客が付くいわゆる提案型です。石川は施主が伝統様式にこだわり工務店がその思いに合わせます。両県の違いが分かる私に瓦メーカーから販売の仕事をやってほしいと誘われ転職します。販売と工事を担当しながら北陸三県、新潟、埼玉、仙台と工事店やハウスメーカーを回りました。その時に営業の難しさを感じました。瓦本来の良さは伝わらず、瓦は付属品で飾り物みたいに考えられ価格だけで判断されるのです。建築コストを下げるため瓦以外の製品が使われますが、それらは必ずメンテナンスが必要になります。瓦は割れない限り一生ものです。わずかな価格差しかないのに瓦の良さを伝えきれない自分が情けなかったです。



私が乗っても瓦は割れない(笑)


能登に戻る


志賀町を中心に能登は瓦の産地でしたが、かつてたくさんあった瓦工場は一軒も残っていません。北陸でも各県にひとつ瓦製造の工場があるだけです。工場は無くなっても屋根には瓦が必要です。長男なので地元に戻る時、この世界を続ける事に迷いは無く、メーカー時代のご縁もあり能登窯業に入社し今年ではや7年が経ちました。最近は半日現場、半日営業という形ですが毎日がとても楽しいです。現場が楽しいから、いろんな相談を受けるようになり、そこからの人付き合いがまた楽しいのです。設計図がある新築でも、この場所の風向きを考えると構造を変えた方が屋根にとっては良いと進言します。構造に合わせて瓦の収め方も違うのです。余計なことを言うなと叱られますが、後であんたの言う通りにしておいて良かったわと言ってもらえます。私は一度お付合いして頂いたお客様の名前と住所は全て頭にあります。瓦は一回手がければ何十年もさわりません。その姿がずーと見られていく世界です。しかし私は屋根の出来栄え以上に「あの人に頼んで良かった」と言って頂ける関係性までが見られているのだと思います。大切に人付き合いを積み重ねながら、日本の伝統、瓦の良さ伝える伝道師として(笑) 頑張りたいと思います。



大工・電気 みんな仲間

矢田町 能登窯業株式会社
☎52-4847
2017年取材