こみみかわら版バックナンバー

第90回 私の仕事は「建築家」です。


新たな文化に遺産に挑戦!


私の仕事は「建築家」です。

岡田 翔太郎(おかだ しょうたろう)
仕事歴 4年


建築家の仕事とは


建築物はその地域を豊かにもダメにする力があります。

人や地域の未来をかたちづくるため、風土、文化、自然、あらゆるものと対話し、
その場所にしか成立し得ないものを建造する仕事だと思います。


メッセージ力


博多の街で遊んだ事はありませんでした。ラーメンを食べたくらいですよ(笑)

九州大学の芸術工学部環境設計学科で建築を学びましたが、
4年間殆ど学校の製図室に籠っていました。
丹下健三先生の弟子で鵜飼哲矢教授の研究室で指導を受けました。
授業では私が制作した模型を見て「あなたの考える建築が社会に対して
どんなメッセージがあるか伝わってこない。全然面白くない、やり直しなさい」
とこれだけです。こうしたら良いという指導は無いのです。
お陰で建築を通して社会の課題を見出す力や、
建築でどう解決するのか考える力が養われたと思います。

戦後広島平和記念公園を作るとき、市民にも原爆ドームを
忌み嫌い取り壊そうという意見もある中、
多くの建築家は原爆ドームに目を向けませんでした。
ただ一人目を向けたのが丹下健三先生だったのです。
原爆ドームに一本の軸線を決め、建物の位置、公園の広がり、
視点がドームに集まる設計でした。後世に何を残すべきか、
原爆ドームは壊してはいけないというメッセージであり、
その場所でしか成立し得ないものを作ることの大切さを今に物語っています。


日本一決定戦へ


大学では先輩の卒業制作を手伝う文化があり、
1年生の時何日も徹夜で取組む先輩を手伝い、
建築ってこんなに大変でここまでやるのかと驚きました。

毎年仙台市で開催される卒業設計日本一決定戦では、
全国から500作品が集まり10人が選ばれプレゼンします。
その中に先輩が選ばれた時、自分も先輩のように輝きたいと目標が定まったのです。

この地でしか成立しないもの、文化を守り、現代を生き、
後世に残すもの、そんな課題で故郷を見つめた時、
でか山という文化と七尾の活性化に建築家としてどう向き合うか。

構想を練る中で府中町のでか山に1年を通して参加させてもらい、
山町ではでか山が日常の存在であることを知りました。
七尾の街で、七尾の暮らしで、でか山が日常になり得る建築物、
それを私の卒業制作にしました。
先輩と同じように出品した日本一決定戦で、
でか山の構造と空間が街並みと合体する生活空間を表現した
作品が日本一に選ばれた時は本当に嬉しかったです!



故郷を世界に



白川郷の合掌造りのように七尾の日常に人々が訪れ
感動する建築物を建てることを生涯の目標にし、
卒業後すぐに七尾に戻り事務所を開設しました。

素材、文化、人を活かすコンセプトで古民家再生も手がけています。
私は施主様とは徹底して話し合います。
一生の買い物である家に悔いがあってはなりません。
模型を作り具体的にイメージし納得が行くまで向き合います。
そんなスタイルを評価して頂き、最近は県内外の一般住宅のほか、
和倉温泉多田屋のレストランや市内の店舗を手がけています。
私は施主様の思いをより有意義に具現化することが建築家の役目だと考えています。

2年前に若手建築家U‐35の大会で「これから日本で活躍する建築家6人」の
中に選んで頂き大変光栄に思っています。
夢は色々ありますが、その実現のためにも、驕らず、焦らず、
今を直視し目の前の課題を見据えて、努力を怠らず故郷の大地に
しっかり足をつけ歩んでいけたらと思っています。


矢田新町 岡田翔太郎建築デザイン事務所
☎57‐5954