第96回 わたしの仕事は『船長』です。
仕事歴 2年 酒井 志津代さん 62歳
船するから手伝え
38年間勤めた石川サンケンを定年退職しカラオケ喫茶を開いてのんびり暮らそうと思い、兄に相談したところ返って来た言葉が「船するから手伝え」でした。子どもの頃から仲が良く大人になっても飲んだり歌ったりと二人で遊んでいましたし、いつも私を気に掛けてくれていた兄貴の言うことやし、まぁーいいか、という思いで船に乗る事にしました。
兄は食祭市場の遊覧船の船長として長らく勤めていたのですが、船の老朽化で会社は営業を終えることにしたのです。それで兄が新しい会社を立ち上げて運航を引き継ぎました。
ところが
平成28年10月から姉も加わり3人で運航を再開しました。遊覧船は12月から冬期の運休に入りますが、その2ヶ月間はとても楽しいものでした。兄は話上手でユニークな人柄でお客を喜ばせ、私はそんな姿を見てやりがいのある仕事だなと思い始めていました。しかしこの時の兄は癌の治療を受けており気合で頑張っていたのです。
そしてついに入院することになりました。「兄ちゃんがおらんとわてやれんし…」と励ましたのですが、兄は「大丈夫や、われの性格ならやれるわい!」と逆に励まされました。兄は弱った体で船に乗り「ガイド中も何が流れとるかわからんし海から目を離すな」「能登島が見えん日は船を出すな」と教え、病室でも「お客に嫌なことがあってもそん時は笑っておらなダメやぞ」「花火大会は小さい船がいっぱい出とって危ないから、頼まれても出したらダメやぞ」などと教えてくれました。
私は兄の代わりに船長をやらなければならないのだと覚悟を決め、2級小型船舶操縦士の免許を取りますが不安が募ります。「難しいけど、やってみて赤字やったらどうする?」と聞くと「出来るだけやってみて、赤字が続いたら無理せんでもいいよ」と言ってくれました。
うぉっ!ウミネコが!
船出
兄が亡くなり、兄の大親友が手伝ってくれることになりました。中古で購入した遊覧船は白く殺風景だったので青く塗りカモメの絵を描きました。遊覧船の運航を兄の意思を継いだ妹がやる、ということが話題になり新聞やテレビに取上げられたことで仲間が駆けつけ応援してくれ、前の会社の先輩や後輩もいっぱい乗りに来てくれました。私は人と話すことや、世話好きでもあったのですが、仲間との日頃のお付き合いの大切さを改めて実感しました。
そして何より驚いたことは、名物船長だった兄を慕っていたお客様が沢山いたことです。県内外からリピートのお客様がお土産を持って来るのです。事務所にある兄の写真にお供えをとお花とウィスキーを持ってくる人もいます。先日も東京から見えられたご夫婦が兄の死を知ると船着場で号泣するのです。思い出にどうぞ乗って下さいと促しますが、ショックで気力を失ったと乗らずに帰られました。遊覧というより兄に会いに来る人が後をたたず、「これゃ、頑張らなならんなぁ」と強く思いました。
穏やかな七尾湾でも漁師のように天気を先読みし、海の底を知らないとなりません。兄が案内していた話を覚えこの夏も朝から晩まで声を出してガイドしていたら、お盆過ぎに声が出なくなってきて慌てました。ストレス発散のカラオケにも行かずに養生しましたよ(笑)。大変な事は色々ありますが、「七尾に遊覧船があって良かった」「有難う、楽しかった」というお客様の言葉を励みに、楽しみながら出来るだけ頑張ろうと思っています。
七尾湾遊覧のクルー