こみみかわら版バックナンバー

第97回 私の仕事は『料理人』です。


仕事歴 11年 黒川 恭平さん 30歳 

緊張の瞬間

肉の塊をカットしその断面を見る時が一番緊張しました。魚料理が済み、次は肉料理をお出しするのですが、時間を逆算して肉に火入れをしておき直前にカットします。お客様の好みの焼き加減に仕上げなければなりません。これで大丈夫だと思っていても焼損じる時があります。そんな時シェフから怒られるのがとても怖かったです。パリの二つ星レストランでの修業時代です。

日本では火入れするポジションで牛を焼いていたので自信があったのですが、フランスでは子羊、うずら、鳩、鹿など初めて扱う食材が多く火の入りも違うのでその感覚が身につくまでが大変でした。

道のり

保育園の時、将来の夢が「コックさん!」でした。両親が営むレストランは夜も営業して家族団欒の時間がとれない環境でしたが、働く両親の背中を見て育った私は中学生の時に料理人になると決めました。七尾高校理数科に入学しましたが担任の先生に大学には行かず料理の専門学校へ進みたいこと、フランスで修業したいので英語だけは一生懸命頑張ることを宣言し理解してもらいました。野球部にも入り七高初の県大会準優勝もでき、本当に英語と野球だけに専念した高校時代でした(笑)。私は目標を立てないと物事が進まないのです。目標が立てば次に何をするかが決められ、それに向かって進めるのです。

京都調理師専門学校に入学した時に、5年間日本で修業しそれからフランスへ行く目標を立てました。京都のフレンチ懐石「祇園おくむら」で5年間修業しますが、この間にソムリエの資格とフランス語検定3級を取得しました。そしてフランス料理界の巨匠、吉野建さんのパリのステラ・マリスに勤めることが決まりました。しかしそのお店のスタッフ全員が日本人だったのです。会話も当然日本語でフランスへ来た意味を考えると少し違うと感じシェフに相談して結局2週間で辞める事にしました。次のお店ではテスト期間として肉を焼くのですがシェフに怒られ続けた1週間でした。それでも何とか頼み込み雇ってもらいました。ここでは美味しく召し上がって頂くために少しの妥協も許さないシェフの姿勢から星付きのレストランとはこういうことなのかと気付かされました。

それで私は2時間半の昼休憩に肉屋から苦手な肉を買ってきて練習を始めました。そんなことからシェフの見方も変わり信頼関係が築けたように思います。帰国の際には送別会をしてもらい包丁を頂きました。実力不足を実感しパリでの先輩の紹介で大阪のラ・シームで働くことにしました。しかしシェフの育てたいがための厳しさに耐えられず、また同い年の同僚とも上手くいかなくなり挫折して辞めてしまったのです。傷ついた心を癒やしたいと気軽なビストロにしばらく勤め故郷に帰りました。



香箱カニのフラン

能登に生きる

七尾へ帰ると大阪のラ・シームが二つ星にランクされ、その同僚が日本代表で出場したコンテストで世界チャンピオンになったのです。挫折した自分が甘かったのかと葛藤し、結果を出さなければとの思いで日本最大級の料理人コンペティション「RED U‐35」に出場しました。

昨年はかすりもしませんでしたがリベンジした今年は3次審査まで進み567人中ベスト22人に残りました。大会には七尾から日本料理の川嶋亨さん、イタリアンの平田明珠さんも出場しました。今3人で料理を通じて能登の素晴らしさをもっともっと発信しなければと交流を深めています。



優雅なひとときを

和倉町 レストラン ブロッサム
☎0767-62-2410