こみみかわら版バックナンバー

第98回 私の仕事は『空手師範』です。


仕事歴12年  吉村 裕さん 54歳

人生の転機

武道家らしくしろ!その一言が弓道師範である父の教育方針でした。御祓中では剣道一筋、七尾では剣道とケンカで負け知らずでした。ケンカと言っても正義感からですよ(笑)。

星稜高1年の時、自分の力がどれほどかと極真会館七尾道場に入門しました。先に入門していた同級生がいたのですが勝てません。その同級生に勝つことを目標に真剣に稽古し高2で極真石川県大会優勝。高3で極真北信越大会ベスト4、極真全日本選手権に最年少出場で3回戦まで進みました。極真は実戦空手で突きと蹴で相手を打撃するので常に恐怖との戦いでした。

高校を卒業してのとしんに勤めますが24歳の北信越大会が人生の転機になりました。その決勝戦、相手は120㎏の巨漢です。歯が飛び血だらけの戦いになりました。敗れましたがその試合を観ていた佐川急便の役員から声がかかったのです。佐川急便が急成長しており根性とやる気ある人材を求めていたようです。

佐川急便時代

転職すると政界を巻き込むあの東京佐川急便事件が起こります。創業者の佐川清会長が金沢に身を寄せ、私は行員と空手の経歴から佐川会長の秘書兼ボディガードを命じられ24時間体制で4年間仕えました。

佐川会長はいかなる時もドライバーの事を最優先に考えていました。その姿から私も道場生のことを最優先に考えることの大切さを学びました。佐川時代に鳴和道場をしばらく預かる事になった時、母が余命宣告を受けたのです。佐川では待遇も良く仕事も順調だったのでかなり迷いましたが、長男として母の余命に寄り添うことを決め退職しました。



細やかに指導

武奨館創設

母が亡くなり空手で生きると決意し鳴和道場を正式に引継ぎました。一昔前は大人の世界だった極真がこの時8割がジュニアでした。私は子どもを教えた経験が無く本当に悩み、各大会に足を運び全国の強豪道場がどんな指導をしているのか目で見て、肌で感じ、自分に落とし込みました。不思議な事に何の策も無く、ただ一生懸命にやっているといつしか道場生が増えていったのです。

空手甲子園と言われ本当にレベルの高いJKJO全日本ジュニア空手道選手権大会で入賞者を出す事を目標にし、6年目で準優勝者が出た時は嬉しかったです。そして3年前ついに優勝者が出てこれからと言う時、予期せぬ事から極真会館と袂を分かつことになりJKJOの大会に出場できなくなりました。この時も道場生のことを最優先に考え各道場を回り保護者に説明し判断を委ねました。

しかし誰一人辞めませんでした。私は頑張らないとならない!と強く決意し2年前に武奨館を旗揚げしました。その後も入門者が増え続け石川富山で13道場、門下生が350名になりました。今は誤解も解け昨年からJKJO北陸地区とWKO北陸ブロックの代表に就任しフルコンタクト空手全体を見る立場です。

七尾道場から昨年10月のIBKO第9回全日本空手道選手権大会一般男子軽量級で20歳の外谷由河君が優勝しました。外谷君も幼稚園から空手を始めていますが、私は一人一人の変化を見逃さずに指導します。礼儀礼節の徹底、気合いを入れた返事や挨拶は稽古以前の問題として教え、稽古で苦しい時でも諦めず継続する大切さを教えます。

苦しんでいる仲間がいれば手を差し伸べ心から応援する。そうする事で自分が苦しい時、周りが助けてくれるのです。一人一人の心技体、その成長を見ることが何より嬉しいのです。



七尾道場門下生

武奨館 吉村道場 ☎ 076-225-3520