こみみかわら版バックナンバー

第103回 私の仕事は『茶道教授』です。


縁に導かれ

仕事歴22年 室木 宗美さん

出会い

人生の不思議を感じます。金沢市宝町で生まれた私は父の仕事の関係で小中高と七尾で暮らしました。
中島高校一年生の時、父の勧めで裏千家のお稽古を始めます。型にはめられることを好まない私は、たかがお茶一服になんでこんなに決め事があるのか不思議に思ったくらいでした (笑)。
金沢に戻り短大で茶道部に入ると学生同士の会話も楽しく、熱心な先輩とのお稽古やお茶会に参加するうちに茶道の道理が少しずつわかるようになり、自分でもビックリするくらい稽古にのめり込みました。

卒業後銀行に勤め、また稽古を始めたいなと思っていたとき、高校の同級生と竪町でばったり出会います。さりげない立ち話の中で「お茶したいんや」と言ったところ、「それなら宗和流を習えば」「先生紹介してあげるよ」と言ってもらい、そんなご縁で宗和流の出島社中に入門したのです。

茶道宗和流

創始者の金森宗和は飛騨高山城主の長男でしたが京都に上り宗和流を興しました。京では公家の間に広まり、三代藩主前田利常も金森宗和の長男七之助を招聘したことで石川県にも根付きました。
武士点前で袱紗(ふくさ)を右につけるのが特徴で、道具揃いも雅やかなことから姫宗和と呼ばれています。

私は茶道宗和流に導かれたのか、それが偶然なのか、必然だったのか、宗和流を勧めたあの同級生と結婚しました。嫁ぎ先の母が宗和流の教授でしたが、お茶については一切何も言いませんでした。
最初の師が金沢の出島先生であり筋を通してくれたのです。母は自宅で、私は熊木公民館で稽古を行っていましたが、四年前に母も師も亡くなり、今は主人と母のお弟子さんにも助けて頂き中島宗和会を引き継いでいます。

師の言葉・母の姿

師から「あんた師範や教授の免状貰ってうれしい顔しとってもダメねんぞ、責任がついてくれんぞ」と、師を支え、裾野を広げ、宗和を守ることを諭されました。
私はその言葉を胸に十年前より中島保育園の年長さんにボランティアで茶道を教えています。園児に楽しくて自信がつくように教えるためにどうするか考えたとき母の姿が浮かびました。



小学生と園児のお茶会

お稽古やお茶会から、ほっぺを真っ赤にしてルンルンで帰ってくる母は本当に楽しそうでした。母にお弟子さんがたくさんいたのは母自身がお茶を楽しんでいたからだと思います。それで教えるのではなく、私自身が園児たちと楽しもうと思いました。子供たちは純粋で褒めれば褒めるほどコツを掴みあっと言う間に覚えて、お茶を立てお運びが出来るようになりお茶会を楽しみます。
卒園後引続きお茶を習う子も多く、中島宗和会では小中学生の稽古日を設けています。そして五月の蓮浄寺の花まつり、八月には保育園で小学生が浴衣を着て後輩の園児たちに、十月の熊木フェスティバルでは敬老会や地域の人に来て頂き、年三回の子供茶会を行なっています。子供たちも本当に楽しそうで、茶道は敷居が高いという先入観が無くなり、大人でも出来ないことをやっているんだと自信を持ちます。

師の言葉をどこまで実践できているのか自問しますが、今の私に出来る事はこれくらいかなと思って頑張っています。少子化が進み、華道、書道など「道」の稽古をする人が少なくなっているように感じますが、この子たちが小学生、中学生と茶道を続け、高校や大学を出て地元に戻ったとき、また宗和に戻ることを願っています。



中学生のお弟子さんと

茶道宗和流 中島宗和会
☎0767-66-0117