こみみかわら版バックナンバー

第104回 私の仕事は『雪月花歌劇団員』です。


歌劇という文化を

主演男役 陽月 れなさん

縁に導かれ

男役の私にまで「かわいいねっ」「頑張ってねぇー」と言って頂き、
こちらが元気を貰います(笑)。
老人施設などへ慰問する日は朝が早いので辛いのですが、最後にお年寄りと
握手をした時の温もりに報われます。

私はOSK日本歌劇団に所属していました。OSKとは大阪松竹歌劇団の略称です。
「歌の宝塚、ダンスのOSK」と称されていましたが二〇〇三年に解散したのを機に
当時の一部のメンバーで加賀屋の雪月花歌劇団として発足しました。
これはOSKの地方公演として以前から加賀屋のシアタークラブ花吹雪で
公演をしていたことがご縁になったのです。

男役に憧れて

横浜出身ですが、幼少の頃ディズニーのショーを観て私も踊りたいなぁと思っていました。
高校生の時ウエストサイドストーリーの映画を観てジョージチャキリスに憧れましたが、
それは異性としてではなく自分もあのようにかっこよくなりたいと思ったのです。


そんなことからOSK日本歌劇学校に入学し、ジャズダンス、クラッシックバレー、
日本舞踊、声楽と稽古を積みOSKに入団しました。歌劇はチームで舞台を創ります。
経験が浅くてもステージに立つということは先輩の技術に並ばなければなりません。
そのため先輩は後輩に厳しく指導します。注意され、時には叩かれ、今ならパワハラと
言われそうですが当時はそれが当り前の世界でした。
私は後輩にどこに力を入れて、どのタイミングで止まって、ここはワンテンポ待ってなど
具体的にコツをアドバイスしています。ステージでは男役と娘役に分かれ、ダンス、歌、舞踊、
殺陣など様々なジャンルを組み合わせ、型にはまらない独創性ある物語を演出します。

どのジャンルにも基本の動きがあり正しく出来ればキレイですが、
たとえダンスが上手でなくても芝居心のある人は踊れるようなそぶりで踊ってしまう。
そんなメンタルの人が歌劇をやれるのだと思います。

地元の歌劇団として

OSKでの初舞台が加賀屋のショーでした。そんなご縁で何度も和倉に来るようになりましたが、
ある時「あの子が将来ここのトップとして来る子だ」と言って頂きました。
その頃の私は、次世代のトップスターを目指し努力していたのですが、その言葉を聞いた時、何故か
将来地方公演先のトップをやるのかもしれないと予感が走りました。
導かれていたのでしょうか、今こうして雪月花歌劇団として十六年が経ちました。



花吹雪のステージ

これからはコアなファンや観光客だけでなく地元の皆様にも今まで以上に
私たちの事を知って頂き、地元で歌劇の裾野が広がるよう努力をしなければと思います。
老人施設への慰問もその一環ですが、子供たちにも見てもらえる場があればと思います。
写真でなくライブのワンシーンを見ることで理解が深まります。
吹奏楽部の生演奏でショーをしたり、ママさんコーラスといっしょにショーをする。
また幼稚園のお遊戯会で歌手として参加するなど様々な団体とコラボできればいいなぁと思います。

私たちは午後三時に楽屋入りし、夜八時半からショーが始まり、後片付けをして家に帰るのは
深夜という毎日ですが、時間を作り市民の皆様と交流を深められればと思います。
また全国でも数少ないプロの歌劇団が七尾にある事を知って頂き、地域の活性化に
役立てて頂ければとも思います。そんな思いを巡らせているとあっと言う間に朝になり、
青林寺の鐘が聞こえてくることもしばしばです(笑)。



寿老園を慰問

加賀屋雪月花歌劇団
☎0767-62-4111